東海道ふたり旅(5) 茅ヶ崎〜国府津(7:平塚宿、8:大磯宿)


東海道ふたり旅(5) 茅ヶ崎〜国府津(7:平塚宿、8:大磯宿)
2008年6月14日(土) 晴れ
更新:2023年8月31日(木)
 
JR茅ヶ崎駅で電車を降り本日の出発点、茅ヶ崎一里塚へ。
途中コンビニでお茶を買う。Suicaで精算したところ、カミサンがビックリ。コンビニでSuicaが使えるとは知らなかった様だ。もっとも、三島はSuica圏内ではないので知らないのは当然か。
 
早速、一里塚より旅を再開。
茅ヶ崎の通りは歩道がタイルで綺麗に整備されており、明るい雰囲気である。
 
しばらく行くと道は右に大きくカーブする。東海道と言えば、だいたいは富士山を右手に見て歩くのだが、この地区だけは珍しく左手に富士山を見ながら歩くことになる。
鳥井戸橋を渡ったところの左に「南湖の左富士之碑」と書かれた石碑が立っている。
 
1 JR茅ヶ崎駅(2008.06.14撮影)神奈川県茅ヶ崎市
 
2 南湖の左富士の碑(2008.06.14撮影)神奈川県茅ヶ崎市
 
 
4 旧相模川橋脚(2008.06.14撮影)神奈川県茅ヶ崎市
 
道は緩やかな登りとなり、平塚市に入る。
その先に馬入(ばにゅう)橋がある。相模川に架かる橋である。川幅は多分、多摩川よりも広いと思われ、朝からジェットバイクやモーターボート、水上スキーなどを楽しむ光景が見られる。
 
橋を渡った先で道は国道1号と平塚市街地への道に分かれる。旧東海道は市街地への道の方である。
分岐するとすぐに馬入一里塚の説明パネルが歩道に設置されている。茅ヶ崎一里塚から旅を再開してちょうど一里(約3.9km)を歩いたことになる。
 
平塚の中心街に入り、「お菊塚」を探すが、結局見つからず諦めた。お菊とは、怪談「番町皿屋敷」のお菊のことである。平塚宿役人の娘であったとか。
 
次のチェックポイントは江戸見付。大通りの四つ角に道標が出ているくらいなので直ぐに見つかると思いきや、これが見つからない。
仕方がないので来た道を逆戻りしカミサンと二人で目を凝らしてそれらしいオブジェを探すが、道標のところまで戻っても見つからない。
今度は反対側の歩道を注意深く歩いたがやはり見つからず。今日は二つも続けて断念することになり道を先に進める。
ところが、少し先のブロックに進んだところで立派な石垣造りの江戸見付跡を発見。どうやら手持ちのガイドブックの地図ポイントが間違っている様だ。
見つけて初めて分かったのだが、そこの町名は見付町であった。ガイドブックさえ間違ってなければ簡単に見つかる筈だったのだ。まあ、ガイドブックを鵜呑みにしてはいけないと言う教訓であろう。
この江戸見付が宿場の東端であるから、平塚宿は現在の平塚の繁華街からは西に外れたところに位置していた様だ。
その先には、脇本陣本陣高札場問屋場と、平塚宿の名残である沢山の石碑が続いた。
 
一部、国道から分かれて旧道に入る部分があるが、旧道に差し掛かったところで正面から近づいてきたお年寄りが「今日は何処まで行くの?」と気さくに声を掛けてきた。
我々の姿を見ただけで旧東海道を歩いていると思うのは、他にも沢山の人達が同じ目的でここを歩いているという事なのだろう。
そしてお年寄りが続けて言ったのは「私はもう静岡まで行って帰って来たよ」である。最初からこれを自慢したかったのかもしれない。
 
旧道から右に入ると、春日神社の右手に「平塚の塚」の大きな石碑が立っている。
桓武天皇の曾孫にあたる政子(真砂子)がここで没したとか。
 
5 平塚市に入る(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
6 相模川で水遊びをする人(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
7 江戸から15番目の一里塚「馬入一里塚」(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
 
9 平塚宿江戸見附跡(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
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11 江戸見附の石垣(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
12 平塚宿脇本陣跡(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
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14 平塚宿高札場跡(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
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16 平塚宿東組問屋場跡(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
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18 平塚宿本陣跡(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
19 平塚宿西組問屋場跡(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
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21 平塚の塚石碑(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
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24 平塚宿上方(京方)見附跡(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
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26 平成の一里塚(旧東海道の一里塚とは関係ありません)(2008.06.14撮影)神奈川県平塚市
 
上方見付の手前で旧東海道は再び国道1号と合流。少し先に流れる花水川を渡れば大磯町である。
 
大磯に入る手前でお昼になったので、昼食を取ってから大磯宿を目指すことに。平塚宿と大磯宿の間は3kmもない。
 
花水橋を渡ると、右手にはこんもりとした山が聳えている。高麗山(こまやま)である。
しばらく進み、化粧坂(けわいざか)の信号のところで旧東海道は国道1号から分岐して斜め右に折れる。
道の両側には松並木が続き、道沿いの各家々は道から少し離して建てられているのでゆったりとした雰囲気が醸し出されている。
 
大磯の街は、軽井沢の別荘地を歩いている様な、何かしら独特の雰囲気がある。
虎御前の化粧井戸化粧坂一里塚を過ぎ、緩やかな坂道を登っていくとJR東海道線にぶつかるが、その下に歩行者用地下道があり、それを抜けると江戸見付が目に入る。大磯宿である。
 
道はやがて国道1号と合流。JR大磯駅前の歩道橋を潜ると、右側に小島本陣尾上本陣と続く。
しばらく行くと、「大磯照ケ先海水浴場」と書かれた古めかしい石柱が立っている。何でも大磯は海水浴場発祥の地らしい。
 
大きな左カーブを過ぎた辺りの左手に茅葺きの庵が現れる。鴫立庵(しぎたつあん)である。
造られたのは江戸時代であるが、その名前は西行法師(平安時代の北面の武士・佐藤義清)が詠んだ歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」にちなんで名付けられたとか。
庭には、各代の庵主の碑、西行法師の座像が安置されている円位堂などがある。
前回、国1の旅で訪れた時は朝の早い時間だったので通りから見ただけであったが、本日再び訪れて、中を拝観できるということが分かった。
なお、ここの敷地内には「湘南発祥之地」と書かれた石碑も立っている。
 
【2023/8/31追記】
平安時代の北面の武士・佐藤義清(さとうのりきよ)が出家した後の名前が西行法師であるが、國軆ワンワールド史観を勉強された方は知っての通り、西行法師(佐藤義清)は國軆勢力側の人であり、日本国内を行脚(あんぎゃ)しながら國軆ネットワーク(佐藤甚兵衛ネットワーク)を構築していった人物である。
そして、その佐藤甚兵衛ネットワークの最終的な本拠地が、周防国・田布施(たぶせ)の佐藤家だと伺っている。この田布施の佐藤家からは、ご存じの通り、3人の内閣総理大臣が出ている。岸信介(佐藤家から岸家に入って岸家を継いでいる)、佐藤栄作(岸信介の実弟)、安倍晋三(安倍晋太郎と岸信介の娘夫妻の間に生まれた子)である。当然ながら、御三方とも、國軆勢力側の方である。
松尾芭蕉が書いた紀行文「奥の細道」は、この佐藤甚兵衛ネットワークを巡った記録なんだそうである。つまり、松尾芭蕉も國軆勢力側の人だということである。
 
しばらく行くと、左手にレストランGUSTがあるが、その前の石垣が上方見付である。
 
27 化粧(けわい)坂(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
28 虎御前の化粧井戸(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
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30 江戸から16番目の一里塚「化粧坂一里塚」(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
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32 大磯宿江戸見附跡(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
33 大磯宿問屋場跡(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
34 小嶋本陣跡(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
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36 尾上本陣跡(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
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38 海水浴場発祥の地(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
39 大磯宿南組問屋場跡(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
40 湘南発祥の地碑(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
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42 鴫立庵(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
 
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44 西行上人歌碑(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
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45 大磯宿上方見附跡(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
大磯宿を過ぎると、松並木の道が続く。直径が1メートルはあろうかという松の大木に、思わずカミサンが抱きつく。
 
大磯には大隈邸、山県邸、西園寺邸といった多くの文化人の旧邸があるらしいが、東海道沿いにある滄浪閣(そうろうかく)は伊藤博文の旧邸だったそうである。
西武グループが最近まで所有していたらしいが、今日前を通った時にはロープが張られており、どこかに売却された様だ。
 
大磯城山公園前から右折して旧道に入る。
公園沿いにしばらく歩いていたところ。先にJRのガードが見えた。旧東海道はJRと交差することはないので、そこで道を間違ったことに気づく。
百メートルほど戻って軌道修正。
 
のどかな旧道を進むうちに、路面に「江戸から十七里」と書かれた金属板が埋め込まれているのを発見。改めて旧東海道であることを確認する。
 
やがて国道1号と合流し、ここからは二宮の町をひたすら歩く。
カミサンに疲れたかと何度か聞くが、「全然」との返事。今日は余り寄り道をしていないので時間の割には距離を歩いている筈なのだが。
 
二宮の町に入ると、所々、左手に西湘バイパスと太平洋の海が姿を現す。
また、平塚では遠くに薄っすらとしか見えてなかった箱根の山々が、段々と近く大きく見えてくる。
カミサンの気持は箱根路に飛んでいるらしく、箱根は幽霊が出るから明るいうちに峠を越えようねなどと話している。
 
行く手に「小田原市」の標識が目に入る。いよいよ小田原である。標識の下にカミサンを立たせて記念写真を撮る。
ところが、しばらく行くと「二宮町」の標識、さらにその先に再び「小田原市」の標識が続く。この辺りは境界が入り組んでいるらしい。
 
下り坂の辺りから、左に太平洋の眺望が広がる。やはり海は気持が良い。
そして、本日のゴールである国府津(こうづ)の町が近づいて来た。
 
46 大磯の東海道松並木(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
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49 旧伊藤博文邸(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
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51 江戸から17番目の一里塚「国府本郷一里塚」(2008.06.14撮影)神奈川県大磯町
 
52 江戸から18番目の一里塚「押切坂一里塚」(2008.06.14撮影)神奈川県二宮町
 
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54 小田原市に入る(2008.06.14撮影)神奈川県小田原市
 
国府津駅からJR東海道線に乗り、三島へ。
途中、小田原駅での乗り継ぎ時間が30分近くあったため、新幹線を使うことにした。
それにしても、小田原〜三島の僅か2駅で、新幹線特急料金1,680円は高すぎる。ちなみに乗車賃は650円だから、何と2.5倍。
 
【データ】
■東海道歩行距離

今回 20.0km(茅ヶ崎一里塚〜国府津駅前)
通算 79.2km

■利用交通機関

区間 交通機関
三島〜茅ヶ崎 JR東海/JR東日本・東海道本線(三島〜茅ヶ崎)
国府津〜小田原 JR東日本・東海道本線(国府津〜小田原)
小田原〜三島 JR東海・東海道新幹線(小田原〜三島)

■費用

用途 金額
JR東海道本線 三島〜茅ヶ崎(1名は通勤定期券を利用)
1,110円
JR東海道本線/新幹線 国府津〜三島(1名は通勤定期券を利用)
740円
新幹線特急料金 小田原〜三島(1名は通勤定期券を利用)
1,680円
駐車場代(三島駅前)
1,000円
飲料(2人分)
294円
昼食(大磯・「本家さぬきや」)(2人分)
1,930円
鴫立庵入場料(2人分)
200円
合計
6,954円
累計
47,222円

■立ち寄りポイント
南湖の左富士の碑(茅ヶ崎市)
旧相模川橋脚(茅ヶ崎市)
馬入(ばにゅう)一里塚(平塚市)
平塚宿 江戸見付
平塚宿 脇本陣
平塚宿 高札場
平塚宿 東組問屋場
平塚宿 本陣
平塚宿 西組問屋場
平塚の塚(平塚宿)
平塚宿 京方見付跡
化粧(けわい)井戸(大磯町)
化粧(けわい)坂の一里塚
大磯宿 江戸見付
大磯宿 小島本陣
大磯宿 尾上本陣
大磯宿 南組問屋場
湘南発祥の地碑(大磯宿)
鴫立庵(大磯宿)
大磯宿 上方見付
東海道松並木(大磯町)
旧伊藤博文邸跡(大磯町)
国府本郷一里塚(大磯町)
押切坂一里塚(二宮町)
 
■通過した宿場
(7)平塚宿
(8)大磯宿
 
【用語】
脇本陣(わきほんじん)
本陣の宿泊者数が多過ぎて許容できない場合に予備となる施設。空いている時は一般の人も泊まる。
問屋場(といやば)
宿場での人足や馬、宿泊所の手配などを行うところ。
 
【地図】