東海道ふたり旅(7) 箱根湯本〜元箱根
2008年7月20日(日) 晴れ
更新:2020年6月21日(日)
JR小田原駅から小田急に乗り換え、箱根湯本駅に到着。
観光客が湯本の温泉街に向かう中、我々夫婦は湯本駅をあとに、逆方向である小田原方面へと歩き始める。
そして数百メートルのところにある三枚橋交差点に到着。ここから旧東海道の旅を再開。
早川に架かる三枚橋を渡ると、道は早速上り坂となる。それにしても、この道は車が多い。
しばらく坂を登って行くうちに、道の両側には温泉宿が点々と姿を見せ始めた。箱根湯本温泉と言ったら小田急の駅から先に伸びている賑やかな通りのことだと思っていたのだが、もしかしたら、こちらの方が本家箱根湯本温泉なのかもしれない。
それにしても、ここ数日続いている蒸し暑さにはまいる。こういう日は熱中症が恐い。
数年前にウォーキングの途中で軽い熱中症になり、視界が真っ暗になった経験があるので、帽子を取り出して被る。
一里塚の碑を過ぎてしばらく進み、箱根湯本ホテル別館の前まで来たところで、手元の地図を見て誤りに気づく。旧東海道の分岐点を見過ごしてしまった様だ。
せっかく登って来た道だが仕方がない。200メートルほど来た道を下り、分岐点から旧東海道に入ると、石畳の道が始まる。
道は、箱根湯本ホテルの本館と別館の間を割るように伸びている。
結構な急勾配である。100メートル余りで石畳の道は終わり、元の車道に合流。しばらくは道なりに坂を登って行く。
道の左には、直接は見えないが箱根新道が走っているらしく、車の音が絶え間なく聞こえる。
須雲川の集落。普通の民家が建ち並ぶ。
少し登った右手には、金の装飾が施された寺院が姿を現す。境内には金色の鐘が釣り下がっている。箱根大天狗神社別院天聖院である。
神社と言いながら、鐘楼があるところを見ると寺なのかもしれない。
しばらく上り坂を進むと、発電所前のバス停のところで旧東海道は車道から右に分岐して石畳の道となる。
途中、車道に合流するが、今度は左に分岐し旧東海道は続く。険しい山道である。
山道を少し下ったところに渓流に架かる小橋が現れた。11時半を回り、お腹も空いてきたため、渓流沿いで昼食を取ることにした。
旧東海道の旅では、初めての弁当持参である。汗を流した後のおにぎりは何とも美味い。
腹ごしらえをして旅を再開。
渓流でタオルを洗うと、水が冷たくてとても気持が良い。
しばらく急勾配の石畳が続き、ようやく車道に出た。寄木細工で有名な畑宿である。
東海道五十三次には出て来ないが、ここ畑宿も宿場町(間宿(あいのしゅく))であり、本陣跡が残っている。
寄木細工の店に立ち寄りキーホルダーを買い求める。
畑宿から先は、いよいよ旧東海道の難所が始まる。その入口にあるのが道の両側にこんもりと盛り上がっている一里塚。
旧東海道でも、道の両側に一里塚が残っているのは珍しいらしい。
この23番目の一里塚を過ぎると、険しい登りの石畳の道が続く。
この辺りは、雲助が活躍したところとか。雲助と言うと、悪党をイメージしてしまうのだが、本来は山道の安全を担う人足のことなのだそうだ。
しばらく順調に登ってきたが、この辺りの急な階段で歩幅のペースが狂わされてしまったのか、太腿に乳酸が溜まって脚が攣った様になり上がらなくなって来た。
距離を歩くのは慣れているのだが、登り道はこの図体には堪える。
脚が前に出なくなっては仕方がなく、休む回数が この辺りから増え始める。
3年前の国1の旅の時は、距離的、高度的には今回よりずっと厳しかったが、アスファルトの車道で車が登れる勾配だったので、今回の様に脚が前に出なくなるいという事態にはならなかった。
やはり、昔の人は健脚である。
甘酒茶屋。
ここで一服して宇治金時を食べる。疲れた身体には何とも言えない美味さなのだが、急いで冷たいものを食べたもので例の如く頭にツーンときた。
それにしても、箱根の旧東海道を歩く人は思いのほか多い。石畳ですれ違う人も多かったが、ここの甘酒茶屋も満席である。
一服したあと、元箱根に向けて最後の登りを歩く。まだまだ結構な急勾配が残っていた。
そして、ようやく石畳の道は下りに転じる。
しばらく坂道を降りると、右手には箱根馬子唄の歌碑が立っていた。
石碑にはあの有名な歌詞「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」が刻まれている。
石畳の道はゴツゴツしていて歩きにくいのだが、下りは滑りやすいのでさらに歩きにくい。
用心深く坂道を下って行くうちに、ようやく車道に合流。
道の両側には背の高い杉並木が続き、やがて正面に芦ノ湖と赤い鳥居が見えてきた。本日のゴール・元箱根である。
元箱根から、東海バスで三島駅まで戻る。
旧東海道の旅も、恐らく本日が一番の難所ではなかろうか。次回は、箱根峠を越えて、いよいよ我が町、三島に到達する予定。
【データ】
■東海道歩行距離
今回 | 9.7km(箱根湯本〜元箱根) |
---|---|
通算 | 100.7km |
■利用交通機関
区間 | 交通機関 |
---|---|
三島〜小田原 | JR東海/JR東日本・東海道本線(三島〜小田原) |
小田原〜箱根湯本 | 小田急(小田原〜箱根湯本) |
元箱根〜三島 | 東海バス(元箱根〜三島駅) |
■費用
用途 | 金額 |
---|---|
JR東海道本線 三島〜小田原(1名は通勤定期券を利用) | 650円 |
小田急 小田原〜箱根湯本(2人分) | 600円 |
東海バス 元箱根〜三島駅(2人分) | 2,000円 |
駐車場代(三島駅前) | 1,300円 |
飲料(2人分) | 600円 |
宇治金時(箱根・「甘酒茶屋」)(2人前) | 1,000円 |
寄せ木細工キーホルダー(畑宿) | 400円 |
合計 | 6,550円 |
累計 | 59,315円 |
■立ち寄りポイント
・湯本茶屋一里塚跡(箱根町 箱根湯本)
・畑宿本陣跡(箱根町 畑宿)
・畑宿一里塚跡(箱根町 畑宿)
・甘酒茶屋(箱根町)
・箱根馬子唄の碑(箱根町)
■通過した宿場
なし
【用語】
間宿(あいのしゅく)
宿場と宿場の間に出来た休憩のための施設。宿場間の距離が長い場合や峠越えなどがある場合に、休憩のために出来たもの。ただし、宿場としては幕府に公認されていないため、建て前上は宿泊は認められていなかった。
雲助(くもすけ)
本来は、宿場や街道で働く人足のこと。人足の不足等により、もぐりの人足が増え、中にはタカリなどを行う悪い雲助が出て来たため、それらの悪党を指す蔑称として使われることになってしまった。
【地図】
・湯本茶屋一里塚跡(箱根町 箱根湯本)
・畑宿本陣跡(箱根町 畑宿)
・畑宿一里塚跡(箱根町 畑宿)
・甘酒茶屋(箱根町)
・箱根馬子唄の碑(箱根町)
■通過した宿場
なし
【用語】
間宿(あいのしゅく)
宿場と宿場の間に出来た休憩のための施設。宿場間の距離が長い場合や峠越えなどがある場合に、休憩のために出来たもの。ただし、宿場としては幕府に公認されていないため、建て前上は宿泊は認められていなかった。
雲助(くもすけ)
本来は、宿場や街道で働く人足のこと。人足の不足等により、もぐりの人足が増え、中にはタカリなどを行う悪い雲助が出て来たため、それらの悪党を指す蔑称として使われることになってしまった。
【地図】