東海道ふたり旅(1) 日本橋〜大森 (1:品川宿)


東海道ふたり旅(1) 日本橋〜大森 (1:品川宿)
2008年5月3日(土) 憲法記念日 雨のち曇り
更新:2020年6月20日(土)
 
3月1日に、東海道五十七次の旅を始め、日本橋〜戸塚宿を歩いたところだったのであるが、カミサンが運動不足解消のために歩きたいと言うので、一旦リセットし、夫婦で東海道五十七次を歩くことにした。
カミサンのペースで歩くので、何年掛かるか分からないが、これもまた楽しである。
 
天気予報は微妙であったが、雨は午前で上がるという予報を信じて、本日より「東海道ふたり旅」を始めることにした。
 
8:49三島始発のこだまで品川に向かう。三島はもう雨も上がり日差しが出てきている。
 
品川から都営浅草線で日本橋に出たが、地上に出るとやはり雨は降り続けている。
雨の門出というのも冴えないので、天気予報を信じて出発の時間を遅らせることにし、日本橋の目の前にある三越で時間を潰すことにした。
しかしながら、11時を回っても雨は一向に止む気配がなく、仕方がないので傘をさして日本橋を出発することに。時は11:20である。
 
1 日本国道路元標(2008.05.03撮影) 東京都中央区日本橋
 
2 日本橋(2008.05.03撮影) 東京都中央区日本橋
 
国道15号(旧東海道)を南下。日本橋高島屋、明治屋、山形屋と老舗が続く。
 
まだ数100mしか歩かないのに、「もう1キロは歩いたでしょ?」とカミサン。先が思いやられそうである。
カミサンは、学生時代に4年間東京暮らしをしていたのだが、電車ばかりで都内を歩くということが無かった様で、東京の地理には暗いらしい。
 
日本橋三丁目を過ぎて隣町・京橋に入る。2ヶ月前に歩いたばかりなので、チェックポイントは頭に入っている。
首都高速ガードの下に、最初のポイントである「江戸歌舞伎発祥の地」と「京橋石の擬宝珠(ぎぼし)」がある。傘をさしての記念撮影。
 
ガードを潜ると銀座である。歩行者天国の時間にはまだ早い。
次のポイントに来たところで予想外の事が判明。2ヶ月前にはあった「銀座発祥の地」の石碑が無い。何と工事のために撤去されていたのである。復元されるのは11月とか。
 
なかなか雨が止まないので、松屋横にあるルイ・ヴィトンの店に寄り道することにした。勿論、万年金欠病の夫婦には買い物する積もりは毛頭ない。(^^;)
 
そろそろランチを取ることにし、通りを外れたところの地下にあるイタリアンへ。
味はまずまずであり、野菜サラダ、ミニピラフ、パスタ、コーヒーのセットで1,200円はリーズナブルな価格であった。
 
食事を終えて地上に出ると雨は殆ど上がっており、大通りは歩行者天国の人で溢れていた。
この中で、一体何人の人がこの通りが旧東海道であることを知っているだろうか。
 
しばらく歩き、首都高のガードを潜ると新橋の町である。ガード一つ隔てただけなのに、銀座と新橋では街の佇まいが全く違う別世界である。
ここから先、品川までは道の両側にオフィスビルが建ち並ぶ味気ない道が続く。
 
3 京橋、石の擬宝珠(2008.05.03撮影) 東京都中央区京橋
 
4 2ヶ月前にあった銀座発祥の地碑は近辺の工事に伴い、一時的に撤去中だった。(2008.05.03撮影) 東京都中央区銀座
 
5 銀座歩行者天国。雨はようやく上がった。(2008.05.03撮影) 東京都中央区銀座
 
6 銀座柳の碑(2008.05.03撮影) 東京都港区新橋
 
芝の街に入る。
大門交差点の手前の右手路地の先には芝大神宮の階段が見えている。カミサンに立ち寄るかと聞いたが、「パス」とのこと。
何せ、旧東海道を完歩するのが目的であるため、寄り道をした場合は、必ず道を外れた地点まで戻って来なければならないと決めている。
 
次に寄り道する予定の芝増上寺へは芝大神宮から直接向かえば距離的には近いのだが、それだと、
  旧東海道(神宮入口) →芝大神宮→芝増上寺→旧東海道(大門交差点)
となり、旧東海道の神宮入口大門交差点間を歩かない結果となってしまい完歩未達成となる。
 
従って、両方に寄り道するには、
  旧東海道(神宮入口) →芝大神宮→旧東海道(神宮入口大門交差点) →芝増上寺→旧東海道(大門交差点)
 
という順序になり、ジグザグに余分に歩かなければならのである。これもコダワリである。
 
ついでに言うと、今回の東海道の旅では二つのコダワリを決めている。一つは上のとおり。もう一つは信号無視をしないことである。車が全く走っていなくても赤信号では渡らない。(渡っている最中に赤に変わるのはOK)
 
7 芝大神宮入口にて(2008.05.03撮影) 東京都港区芝大門
 
芝増上寺。せっかく寄り道したのに、本堂は工事中で近寄ることが出来なかった。初めて訪れるカミサンには残念であった。
 
大門交差点まで戻り旧東海道の旅を続ける。首都高速3号線のガード下には金杉橋が架かっている。
橋を渡ってしばらく進むと、道は右へと大きくカーブしている。更にしばらく行くとJR田町駅である。
 
NHK大河ドラマ「篤姫」がちょうど今放映されているが、薩摩藩江戸屋敷がここ芝にもあったそうであり、それが関係しているのかどうかは知らないが、田町の少し手前の道沿いに勝海舟・西郷隆盛会見の地を示す石碑がある。
 
8 芝増上寺(2008.05.03撮影) 東京都港区芝公園
 
9 勝海舟・西郷吉之助会見の地碑(2008.05.03撮影) 東京都港区芝
 
10 笹川記念会館前の像(2008.05.03撮影) 東京都港区三田
 
田町の駅を過ぎ、しばらく歩くと左側歩道を遮る様に高さ2mほどの四方を石垣で囲った高地がある。高輪大木戸跡である。
昔、江戸から上方に向かう旅人を見送る人達は、ここまで見送って来ていたとか。この大木戸の内側が江戸と言うことか。
 
高輪大木戸のすぐ先に、泉岳寺の入口となる交差点がある。
私自身は3度目の訪問となるが、カミサンが初めてなので泉岳寺に立ち寄る。いつ来ても赤穂義士の墓には訪れる人が多く、線香が絶えない。
 
11 高輪大木戸跡(2008.05.03撮影) 東京都港区高輪
 
12 泉岳寺(2008.05.03撮影) 東京都港区高輪
 
泉岳寺から1キロほどでJR品川駅に到着。カミサンは相当疲れが来ていると思いきや、全然平気とのこと。
 
知らない方が多いと思うが、JR品川駅は、実は品川区ではなく港区にある。港区と品川区の境は、品川駅より少し南にある八ツ山橋のところである。
その八ツ山橋を渡り、京急の踏切を越えたところから北品川商店街が始まる。ここが旧東海道の品川宿である。
 
問答河岸の碑」を皮切りに、あちこちに品川宿時代にまつわる石碑や高札を見つけることが出来る。
 
品川宿でしばし休憩しようと喫茶店を探しながら歩いたのだが、これが有る様でなかなか見つからない。
とうとう北品川の外れ・目黒川まで来てしまった。仕方がないので近くの店でアイスクリームを買い求め、目黒川に架かる品川橋のベンチで一息入れる。
 
13 品川宿入口にて(2008.05.03撮影) 東京都品川区北品川
 
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15 品川宿・問答河岸の碑(2008.05.03撮影) 東京都品川区北品川
 
16 善福寺(2008.05.03撮影) 東京都品川区北品川
 
17 品海公園にて(2008.05.03撮影) 東京都品川区北品川
 
18 品川宿本陣跡(2008.05.03撮影) 東京都品川区北品川
 
目黒川を渡ると南品川の街。ここも品川宿の続きである。
常行寺天妙国寺品川寺(ほんせんじ)と寺が多い。それ以上に多いのが何故か分からないが理髪店である。十軒はゆうに超えている。こんなに多くて商売が成り立つのだろうかと思うが、まあ、私が心配しても始まらない。
この辺りは、道筋が右に左にと緩やかに蛇行しており、旧東海道の道筋がそのまま残っていることが伺える。
 
青物横丁を過ぎ鮫洲の街に入ると、もう東大井である。このあたりに来るとさすがに宿場町という雰囲気ではなくなる。
 
そして立会川。ここに架かる浜川橋は別名「泪橋(なみだばし)」とも呼ばれ、鈴ヶ森刑場に引かれて行く罪人たちが泪を流したとか。
橋のたもとでは、我々と同じ様にリュックを背負った夫婦連れが泪橋の由来を書いた高札を読んでいた。結構、夫婦で旧東海道を歩く人達がいる様だ。
 
そして、しばらく行くと道は再び国道15号と合流する。その合流点の手前の一角にあるのが鈴ヶ森刑場跡である。
何とも異様な雰囲気のエリアであり、長居はしたくない場所である。
 
時計が4時を回り、カミサンもさすがに疲れた様なので、本日の旧東海道の旅は大森海岸駅前で終えることにした。
次回は、ここからスタートし、出来れば横浜(神奈川宿)まで足を延ばしたいものである。
 
途中、大森ベルポートのビル内広場を通り抜けてJR大森駅まで歩き帰途に付く。空はすっかり晴れ渡っており、連休後半は良い天気に恵まれそうだ。
 
19 浜川橋(泪橋)(2008.05.03撮影) 東京都品川区東大井
 
20
 
【データ】
■東海道歩行距離

今回 12.4km(日本橋〜大森海岸駅前)
通算 12.4km

■利用交通機関

区間 交通機関
三島〜品川 JR東海・東海道新幹線(三島〜品川)
品川〜日本橋 京浜急行/都営地下鉄浅草線(品川〜日本橋)
大森〜品川 JR東日本・京浜東北線(大森〜品川)
品川〜三島 JR東海・東海道新幹線(品川〜三島)

■費用

用途 金額
新幹線 三島〜品川(往復)(1名は通勤定期券を利用)
7,780円
京急/都営地下鉄 品川〜日本橋(2人分)
680円
駐車場代(三島駅前)
900円
昼食(2人分、銀座・ダイニングバー「INFINI(アンフィニ)」)
2,350円
飲料(2人分)
300円
アイスクリーム(2人分)
200円
缶ビール(2人分)
660円
おつまみ
350円
合計
13,220円
累計
13,220円


■立ち寄りポイント
・日本橋三越百貨店(日本橋)
「日本橋魚市場発祥の地」(日本橋)
「日本国道路元標」 (日本橋)
「江戸歌舞伎発祥の地」 (京橋)
「京橋石の擬宝珠(ぎぼし) (京橋)
「銀座発祥の地」 (碑は撤去状態)(銀座)
・銀座松屋(銀座)
・ダイニングバー「INFINI(アンフィニ)」(銀座)
「銀座柳」の碑 (新橋)
芝増上寺 (芝)
「勝海舟・西郷隆盛会見の地」 (芝)
高輪大木戸跡 (高輪)
泉岳寺(高輪)
・北品川商店街(北品川)
「問答河岸の碑」 (品川宿)
「土蔵相模跡」 (品川宿)
善福寺(品川宿)
品海(ひんかい)公園(品川宿)
品川宿本陣(品川宿)
泪橋(東大井)
鈴ヶ森刑場跡(南大井)
■通過した宿場
(1)品川宿
 
【用語】
東海道五十七次(とうかいどうごじゅうななつぎ)
東海道と言えば、歌川広重の「東海道五十三次」でも知られているとおり、江戸・日本橋から京・三条大橋までを結ぶ街道というのが一般的になっている。しかしながら、実のところは、五十三番目の宿・大津宿から京に向かって4〜5キロ先に「追分」と呼ばれる京方面と大坂方面への分岐点があり、東海道は京方面ではなく大坂方面に分岐して、大坂・高麗橋(こうらいばし)まで続くと言うのが正しいらしい。宿場の数も、大津までの五十三次に、伏見、淀、枚方(ひらかた)、守口の四宿を加えた東海道五十七次というのが正しいらしい。もっとも、京から大坂に下る場合は、淀川を船で下ることが多かったため、街道の方はもっぱら大坂から京への上りに使われていたらしい。このためか、呼び名の方も、上りの方は「京街道」、下りの方は「大坂街道」という別名があったそうである。
 
【地図】