横浜三渓園 1980/春


横浜三渓園 1980/春
1980年5月(日付不詳)
更新:2020年5月22日(金)
 
JALのスチュワーデス(最近の呼び方はキャビンアテンダント)をしている高校の同級生・上薗さんが、車を買ったと言うので乗せて貰って横浜をドライブ。
山下公園、三渓園をまわって来た。
 
因みに、最近、落合莞爾先生より聞いた様な記憶があるが、横浜三渓園は、一時期、國體天皇(多分、堀川辰吉郎)のお住まいとして使われていたらしい。
 
途中で、住宅街に紛れ込み、ターンしている時に側溝にタイヤが入りそうになったのだが、彼女から運転を代わってくれと言われたものの、当時は私も完全なペーパードライバーで全く運転出来なかったため代わってあげる事が出来ず、悪戦苦闘しつつも、結局、溝に落ち込んでしまった。
ジャッキーを使って車体を持ち上げ、タイヤの下に何かを差し込んでからタイヤを道の上に戻そうとしていたら、近所の方がアクシデントに気付いて近寄って来られ、復旧作業を手伝ってくれた。
 
話は変わるが、私がペーパードライバーを解消したのは、それから5年後の事になる。
1983年夏に京浜地区から静岡県の沼津(富士通沼津工場)に転勤となり、そろそろ車のある生活を真剣に考えねばと思い始めたのだが、運転が出来る様になってから車を買うという事では、いつまで経っても事態が進展せず、とにかく、腹を括って、運転の練習のために先に車を買わなければ何も始まらないという考えに至ったのである。
そして沼津市民となってから2年後の1985年春、沼津駅まで徒歩圏内だった5階建ての賃貸マンションから、少し海寄りの駐車場付きの安アパートに引っ越し、5月連休に中古車を購入したのである。
カーショップからアパートまでは、自分では運転できなので職場の同僚に付いてきて貰い運転して貰った。そして翌朝、早起きして沼津港の空き地まで恐る恐る運転し、30分ほど慣らし運転するうちに「車が動く」という恐怖感が薄れてきて、そうなると、免許取得時には運転出来ていた訳であるから、運転技術は身体が覚えていて、すぐに普通に運転感覚を取り戻す事が出来たのである。
 
1 横浜三渓園
 
 
 
 
5 高校同級生の上薗さん
 
 
 
 
 
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12 山下公園 竹の子族
 
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