高校修学旅行(飛騨、上高地、松本、白樺湖、東京)(1971年10月)
時期:1971年10月12日(火)~10月17日(日)
更新:2022年7月15日(金)
高校の修学旅行は、2年の秋(10月12日〜17日、5泊6日)であったが、結構趣向を凝らした内容であり、途中で2コースに分かれての旅であった。
私は飛騨高山、乗鞍、上高地、松本、白樺湖、蓼科、甲府、東京と言うコースであった。もう一つのコースは、馬籠、妻籠、黒部ダムなどを訪れるコースであった。松本から先は両方とも同じコースであり、確か、白樺湖のホテルで合流したと思う。
福岡から、関西や東京ではなく信州へのコースを選んだと言うのも、当時の福岡の高校修学旅行としては珍しかったと思うが、甲府から東京(新宿)に向かう電車は、社会に接するというテーマを設定して、貸切車両ではなく一般車両に乗り込んでの移動となった。つり革に掴まって車窓からの景色を眺めたり、途中から乗り込んで来た遠足帰りの小学生と言葉を交わしたりしたのが良い思い出である。
また、その日はちょうど日本シリーズで巨人と阪急が対戦した日であり、電車の中でラジオ中継を聞いていた時に、9回裏2アウトの状態で、王選手が山田投手からサヨナラ3ランホームランを打って逆転勝ちしたのを憶えている。
日付 | 行程 | 宿泊地 |
---|---|---|
10月12日(火) | 博多~(国鉄:鹿児島本線、山陽本線)~ | 車中泊 |
10月13日(水) | ~新大阪~(国鉄:東海道新幹線)~岐阜羽島~(国鉄:高山線)~高山~(バス)~飛騨(合掌造り)~乗鞍岳~上高地 | 五千尺ロッジ(上高地) |
10月14日(木) | 上高地~(バス)~奈川渡ダム~松本(松本城、旧開智学校)~霧ヶ峰~白樺湖 | 白樺湖ホテル |
10月15日(金) | 白樺湖~(バス)~甲府~(国鉄:中央本線)~新宿~(バス)~本郷 | 太栄館(本郷) |
10月16日(土) | 本郷~(バス)~浅草寺~上野公園~東京タワー~東京~(国鉄:東海道新幹線)~新大阪~(バス)~神戸港~(阪九フェリー)~ | 船中泊 |
10月17日(日) | ~小倉港~(バス)~城南高校 | - |
【行程】
飛騨、高山市街 (岐阜県) 乗鞍岳 (岐阜県、長野県) 上高地、松本、白樺湖、蓼科湖 (長野県) 東京都区内 (東京都) |
10/12:博多駅(福岡市)~[国鉄・鹿児島本線、山陽本線](車中泊)~ 10/13:~新大阪駅~[国鉄・東海道新幹線]~岐阜羽島駅~[国鉄・高山本線]~高山駅~[バス]~高山市街~[バス]~飛騨民族村(合掌造り)~[バス]~乗鞍岳~[バス]~上高地(ホテル「五尺ロッジ」泊) 10/14:ホテル~[バス]~奈川渡ダム~[バス]~松本(松本城、旧開智学校)~[バス]~霧ヶ峰~[バス]~白樺湖(白樺湖ホテル泊) 10/15:ホテル~[バス]~蓼科湖~甲府駅(山梨県)~[国鉄・中央本線]~新宿駅~[バス]~本郷(旅館)~[タクシー]~霞ヶ関ビル~~[タクシー]~銀座~[タクシー]~本郷(旅館「太栄館」泊) 10/16:旅館~[バス]~浅草、浅草寺~[バス]~上野公園~[バス]~東京タワー~[バス]~東京駅~[国鉄・東海道新線]~新大阪駅~[バス]~神戸港~[阪九フェリー](船中泊)~ 10/17:~小倉港(福岡県)~[バス]~高校(福岡市) |
[追記:2022年7月15日]
修学旅行、最後の訪問地は東京だったが、東京での事を何も書いていなかったので、51年前の事を思い出しながら追記してみる(笑)。
本郷の宿は「太栄館」という旅館であった。ここには、大学時代にも泊まった事がある。富士通の入社試験の時である。確か二次面接が終わった後、東京で一泊してから福岡まで開通した新幹線を使って帰ろうと思った時だったと思う。ただ寝るだけの目的だったので大した思い出はないが。
それよりも、修学旅行時での太栄館での思い出は多い。
まず、浜崎保美さんだったと思うが、彼女のお姉さん(ご夫妻だったか一人だったかは記憶が曖昧)が旅館に訪ねて来られ、浜崎さんのほかに私を含め何人かの生徒も一緒に、夜の東京観光に連れて行って下さったのである。霞ヶ関ビル、銀座の不二家などに連れて行って戴き、宿まで送って戴いた。
それから、私は話すタイミングが無かったのだが、同じクラスから東京に転校した織田美代子さんが、宿を訪ねて来られていて、玄関で他の女生徒と話されている姿を見かけた。
夜は、女子の部屋にお邪魔してトランプ等をして過ごした事を思い出す。確か、消灯時刻を過ぎても続けていたと思うが、その時に、突如、先生方の一斉見回りが始まったのである。我々男子生徒は、慌てて押入に隠れたのを憶えている(笑)。
それから、翌朝の出発前の時間ではなかったかと思うが、我々男生徒が女子の部屋に来ている時に、隣のクラスの谷啓子さん(私の憧れの人)が偶然部屋に入って来られたのを憶えている。そして何と、清平桂子さんだったと思うが、私が谷さんに憧れていたという事を、私の目の前でご本人にバラしてしまったのである。そうしたら、その時の谷さんの反応がまた落ち着いていたと言うか何というか、「光栄だわぁ」との一言であった。
この最終訪問地・東京での事(各クラスで起きた事)については、福岡に戻ったあと、学校側と生徒の間で色々と問題があったそうである。私自身(女子の部屋に遅い時刻まで居たこと)は、幸い不問に付された様だが、かなりの人数の生徒に罰が与えられたらしい。具体的な処罰の内容は知らないが。父兄側からも学校側に対して厳しい抗議があったとも聞いている。生徒側を侮辱する発言が教員側にあったらしい。