【回想】旅(北海道)


【回想】旅(北海道)
2020年1月26日(日) 雨
 
私も65歳を過ぎ、遂に若かりし頃を回想する歳になってしまったか(笑)。
 
回想の手始めは、このブログのハンドル名のキッカケにもなっている北海道について、これまでの旅行を「棚卸し」してみる。
 
ハンドル名とは、黒板五郎(くろいたごろう)の事である。以前、「こくばんごろう」と読んだ人がいたが、くろいたごろうである。
脚本家・倉本聰さんの名作「北の国から」の主役の一人であり、俳優の田中邦衛さんが演じた黒板家の父親の名前である。
 
1981年の秋から放映されたこのTVドラマ「北の国から」。これを見て、私はもう北海道に魅せられてしまったのである。
「北の国から」については、本編の全24話、その後の何本かのスペシャル編、これらを全て生録かつCMカットしてビデオに録画したものである。留守録してから後で編集(CMカット)したのではなく、生録(視聴しながらビデオデッキで録画)しながら、CMが入るタイミングを察知して一時停止ボタンを押し、CMが終わると一時停止ボタンを解除するのである。
このドラマは、TV局の編集担当者も丁寧な仕事をしていた様で、CMの前後に必ずミュート(映像が薄らと消えたり、薄らと浮き上がって来たりする編集)を挿入してくれていたので、CMの開始と終了が視聴者にも察知出来たのである。そして、本編の24話、その後に放映されたスペシャル編の全てについて失敗する事なく生録&CMカットをやり遂げたものである(笑)。ビデオデッキは、SONY製のベータマックスだった。
 
記録メディアの構造上、現在のディスク(記録面の任意のポイントにヘッドを直接位置付け可能)とは違い、ビデオテープ(テープの巻き戻しをしないと必要なポイントにヘッドを位置付け出来ない)だったので、CMカットするには生録中に一時停止・再開という操作でカットするか、一旦録画し終わったテープを再生&ダビングしながらCM部分をスキップさせて別のテープにコピーするしかなく、そうなると、ダビングしても記録データ(デジタルデータ)が増減なくそのままコピーされる現在のデジタル録画方式とは違い、当時はアナログ録画方式だったので、ダビングするたびに画質がどんどん劣化するのである。それが嫌なので、頑張って生録&CMカットした訳である。
(その後、何度も再放送されたので、全話ともブルーレイディスクにデジタル録画で録画し直し、苦労して生録&CMカットしたビデオテープは廃棄したが 笑)
  
当時は、神奈川県川崎市の百合ヶ丘に住んでいたのだが、本編の最終話(第24話)の日に仕事で沼津(静岡県)への出張が入ってしまい、家に帰って来るのがちょうど放映時間に間に合うかどうかのギリギリの時刻になりそうであったため、取り敢えず、生録&CMカットは諦めて留守録予約をして出勤したが、放映時刻の数分前に帰宅できたので、慌てて留守録予約を解除して生録したのを憶えている。
 
また、スペシャル編の「北の国から'87 初恋」の放映の時は、1987年3月27日(金)の放映だったが、当時、婚約中だった今のカミサンから電話があり、翌月の結婚披露宴で配る栞(しおり)を作っているので来て欲しいと言われたものの、「『北の国から』を生録しないといけないので行けない」と断ったのを憶えている。
今でこそ、「北の国から」に心酔している私の事をカミサンも理解してくれているが、当時は、テレビを見るから行けないと断られて、カミサンも相当頭に来たものと思われる(笑)。
 
まあ、そんな事があって、北海道に魅せられた私は、1984年の夏、初めての北海道旅行をする訳である。
以降、北海道に何回行ったかは もう憶えていないので、頭の整理の意味もあって今回まとめて見る事を思い付いた訳である(笑)。
 

 
時期
内容
1 1984年 7/29~8/5 ◇北海道サイクリング1984(1984年7月) 
➣深川、神居古潭、旭川、富良野、麓郷、稚内、利尻島、宗谷岬、猿払原野、札幌 
➣紀行文➪→北海道サイクリング1984(1984年7月)
2 1985年 8/10~8/18 ◇北海道サイクリング1985(1985年8月) 
➣青森、青函連絡船、函館、襟裳岬、幸福駅、愛国駅、帯広、十勝川温泉、池田町、標茶、尾岱沼温泉、野付半島、摩周湖、アトサヌプリ、川湯温泉、屈斜路湖、美幌峠、網走湖、札幌 
➣紀行文➪→北海道サイクリング1985(1) 
➣紀行文➪→北海道サイクリング1985(2)
3 1986年 8/10~8/17 ◇北海道サイクリング1986(1986年8月) 
➣網走、能取岬、能取湖、常呂、サロマ湖、北見枝幸、宗谷岬、稚内、礼文島、幾寅、樹海峠、麓郷、札幌 
➣紀行文➪→北海道サイクリング1986(1986年8月)
4 2002年 8/17~8/24 ◇北海道家族旅行 
➣海ほたる、青森、青函フェリー、函館、昭和新山、有珠山、洞爺湖、ニセコ、積丹半島、神威岬、島武意海岸、小樽、層雲峡、黒岳、キタキツネ村、能取湖、能取岬、網走、オシンコシンの滝、知床五湖、知床峠、羅臼、野付半島、開陽台、川湯温泉、美幌峠、アトサヌプリ、摩周湖、阿寒湖、オンネトー、然別湖、狩勝峠、麓郷、冨田ファーム、美瑛の丘、支笏湖、地球岬、函館、中尊寺(岩手県) 
➣紀行文➪→北の夏2002(1) 
➣紀行文➪→北の夏2002(2) 
➣紀行文➪→北の夏2002(3) 
➣紀行文➪→北の夏2002(4) 
➣紀行文➪→北の夏2002(5) 
➣紀行文➪→北の夏2002(6)
5 2007年 12/16~12/22 ◇結婚20周年&勤続30周年記念北海道旅行 
➣登別、クマ牧場、帯広、十勝川温泉、釧路、標茶、多和平、摩周湖、美幌峠、屈斜路湖、アトサヌプリ、養老牛温泉、札幌 
➣紀行文➪→結婚20週年&勤続30週年記念旅行 北海道2007冬(1) 
➣紀行文➪→結婚20週年&勤続30週年記念旅行 北海道2007冬(2) 
➣紀行文➪→結婚20週年&勤続30週年記念旅行 北海道2007冬(3) 
➣紀行文➪→結婚20週年&勤続30週年記念旅行 北海道2007冬(4) 
➣紀行文➪→結婚20週年&勤続30週年記念旅行 北海道2007冬(5) 
6 2009年 4/26~4/29 ◇北海道バスツアー「とびっきり北海道」 
➣函館、トラピスチヌ修道院、五稜郭、大沼公園、洞爺湖、昭和新山、登別温泉、地獄谷、富良野、美瑛の丘、札幌、小樽 
➣紀行文➪→北海道2009春(1) 
➣紀行文➪→北海道2009春(2) 
➣紀行文➪→北海道2009春(3) 
➣紀行文➪→北海道2009春(4)
7 2012年 4/25~4/28 ◇北海道銀婚旅行 
➣占冠、上富良野、美瑛、北の森ガーデン、層雲峡、網走、オシンコシンの滝、知床、留辺蘂、北きつね牧場、ウトロ温泉、アトサヌプリ、摩周湖、釧路、釧路湿原、阿寒湖、足寄、日勝峠 
➣紀行文➪→北海道銀婚旅行(1日目) 
➣紀行文➪→北海道銀婚旅行(2日目) 
➣紀行文➪→北海道銀婚旅行(3日目) 
➣紀行文➪→北海道銀婚旅行(4日目)
8 2014年 10/13~10/15 ◇秋の北海道旅行 
➣日勝峠、足寄、オンネト-、阿寒湖、摩周湖、知床、網走天都山、温根湯温泉、三国峠、層雲峡、北の森ガーデン、神居古潭、ノーザンホースパーク 
➣紀行文➪→秋の北海道
9 2016年 2/20~2/24 ◇北海道流氷旅行2016 
➣北広島、旭川、北の森ガーデン、層雲峡、網走(流氷)、濤沸湖、天都山、阿寒湖、足寄、日勝峠、支笏湖、北湯沢温泉郷 
➣紀行文➪→北海道流氷旅行2016(1) 
➣紀行文➪→北海道流氷旅行2016(2)
➣紀行文➪→北海道流氷旅行2016(3)
➣紀行文➪→北海道流氷旅行2016(4)
➣紀行文➪→北海道流氷旅行2016(5)
➣紀行文➪→北海道流氷旅行2016(6)

昔の祝電の整理


昔の祝電の整理
2020年1月13日(月) 成人の日 晴れ
 
新しい年になって2週間近く経った。このブログに記事を書くのは本日が今年初である。書き初めと言うのかしら(笑)。
 
年末年始は、恒例になっている福岡への帰省をしてきた。
ここ暫くは車での帰省を続けて来たのだが、60代半ばに差し掛かったためか、最近では周りからの車による帰省への反対の声が強くなってきており、さらに昨年は、高速道路での煽り運転事件が多発する様になって来たので、一年前の正月帰省を最後に、車での帰省は控えている。
せっかく、一ヶ月前に大枚をはたいてドライブレコーダーを装着したばかりなのに、結局は、無駄な投資になりそうである。もっとも、保険加入と同じで、「投資が無駄になる事(何も問題が発生しない事)」こそが最大の効果なのだが(笑)。
 
ここ数年は、旧盆と正月の帰省の際には、高校の同級生3人で一杯飲みながら話をするのが恒例になりつつあるが、昨夏の帰省ときには時間的余裕がなくて集まれなかったので、今回の帰省では一年ぶりの飲み会となった。
さらに、今回は私の小学校時代のクラスメイトで、他の二人ともゴルフ仲間の一人が宴に加わったので、場が更に盛り上がり、楽しいひと時であった。私以外の三人は高2のクラスメイトである。
 
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1 右が私。なんかジジィになりましたねぇ
 
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3 右が今回加わった小学校のクラスメイト
 
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実家に帰ると、いつもの事であるがオモチャ(パソコン)が無いので暇である。ついつい飲んでしまう(笑)。
 
母がもう高齢(92歳)で2階に殆ど上がらないらしいので、今回は2階の押入れを少し整理してあげようと思い、何日か掛けて整理した。戴き物で多分もう使う事が無いと思われる未開封の食器類は、押入れから出して一階の洋間に積んでおき、若い親族(甥、姪など)がお祖母ちゃん宅を訪れた時に好きなものを持って帰れる様にし、賞味期限の切れた味付け海苔やら蟹缶は全部処分した。何しろ、平成の一桁代(20世紀)のものがゴロゴロ押入れに眠っていたのである(笑)。
 
その中に、父が1990年に綬章した黄綬褒章の大量の祝電類が袋に詰められて仕舞ってあったので、さすがにこのまま置いたままにしておいても仕方がないと思い、母の了解を取った上で処分する事にした。
ただし、せっかく戴いた祝電類を単に廃棄してしまうのは流石に心が痛むので、一旦、自宅(三島)に持ち帰り、送って戴いた方々の氏名と祝電類の祝辞文面だけでも記録に残しておく事にした。365連休の身の上なので、時間だけはたっぷりある(笑)。
 
帰省から戻り、並行して宅急便で自宅に送っていた祝電類の整理に取り掛かった。
それを眺めているうちに、電報類は味気ない機械文字なのでまだ割り切れるものの、毛筆など手書きで書かれたものは捨ててしまうのも憚られたため、数も多くない事だし暫く保管しておく事にした。
 
文面をExcelシートに転記していて気づくのは、どの祝電もだいたい同じ様なフレーズが並んでいるという事である。典型的なフレーズは以下のとおり。
 
「栄えある黄綬褒章のご受章を 心からお祝い申しあげます。」
 
褒章(黄綬、藍綬、紫綬)の場合は、「受賞」ではなく「受章」と書く事は以前から知っていたが、「栄えある」を「はえある」と読むことを、恥ずかしながら今まで知らなかった私である(笑)。
 
「今後益々のご健勝とご活躍をお祈り申しあげます。」
 
これも殆どの祝電に出てくるフレーズである。
 
驚いたのは、国会議員や銀行の頭取、大会社の代表取締役社長といった方々からの祝電類が予想以上に多かったという点である。福岡県知事、福岡市長からの祝電も届いていた。
 
まあ、しがない一中小企業の社長だった父が、それほどの方々と面識がある訳がないので、恐らく、褒章受章が政府から発表されると、関係箇所にお触れが回る情報伝達ネットワークが出来上がっていて、そのルートを通じて各所から祝電が全国の受章者に発信されるという、日本での毎年恒例の行事になっている事なのだろうと思う。
 
祝電を一覧にする上で、一番の問題は、氏名が仮名で書かれているという事である。大きな会社や組織であれば、会社名・組織名と仮名での発信者名を入力してネット検索すればヒットして、氏名の漢字が分かるのだが、それほど大きくない組織だとネット検索してもヒットせず、やむなく仮名のまま一覧に記載する事になる。
その上、何しろ1990年(約20年前)の事なので、組織の代表者も代替わりしていて、なかなかヒットしないのである。それでもヒットするパターンは、「訃報」(検索対象の方が亡くなっていたケース)の場合だったりする。
 
国会議員について言うと、受章祝賀会にも出席してご挨拶して戴いた衆議院議員の山崎拓さんと太田誠一さん(いずれも福岡の選挙区)については、私の記憶では、彼らが福岡市議会だったか福岡県議会だったかの議員の頃から、毎年年賀状が届いていたのを憶えている。多分、父が後援会に入っていたのだと思う。
山崎拓さんについては、父の初盆だったから2005年の8月だったと思うが、旧盆三が日(8/13〜8/15)のとある日の昼間に呼び鈴がなって玄関の引き戸を開けたところ、目の前に山崎拓さんがお一人で立っていたのを憶えている。「ご焼香させて下さい」と言われて、わざわざ、家(私の実家)まで足を運んで来てくれたのである。仏間に入って焼香だけされてササッと家を後にされたのだが、思い掛けない訪問者に母も私も驚いたのを憶えている。小泉政権での副総理とも言われた方なのに、とても謙虚な方の様に感じたものである。
 
それから、選挙区は違ったが同じく福岡県を地盤にしている麻生太郎衆議院議員(後の総理大臣)からも、毛筆の祝辞が届いていたようである。ほかには、加藤六月衆議院議員(当時の自民党政調会長)とか、衛藤征士郎衆議院議員とか、・・・・。 
 
以下の新聞記事によると、福岡県からの褒章受章者は、この年は22人と言うから、大変な名誉であったのだろうと思う。記事に書いてあるとおり、30歳を過ぎてから飛び込んだ運送業界で黄綬褒章まで受章すると言うのは、まあ、大変な事だったのだと思う。当時は、既に就職して福岡を離れていた私には、そんな大変な快挙だったとは全く知らなかったのだが。
 
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黄綬褒章の記事、祝賀会映像は以下。
 
 【イベント】父の黄綬褒章を祝う会