父(摩須久壽)の黄綬褒章を祝う会
時期:1991年2月9日(土)
更新:2020年1月12日(日)
動画→19910209 摩須久壽 黄綬褒章受章パーティー
日時 平成3年2月9日(土) 11:30
場所 ホテル日航 福岡 3階 都久志の間
摩須久壽氏褒章祝賀会発起人会
祝賀会次第 | ||
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1.開会のことば |
福岡県トラック事業協同組合連合会 副会長 |
発起人 久富久和 |
(周防灘運輸協同組合 代表理事) |
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1.摩須久壽氏ご入場 |
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1.発起人代表あいさつ |
福岡県トラック事業協同組合連合会 副会長 |
野田嘉樹 |
(九州協栄運輸事業協同組合 理事長) |
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1.来賓祝辞 |
衆議院議員 |
山崎拓 |
衆議院議員 |
太田誠一 |
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九州運輸局 局長 |
髙橋伸和 |
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社団法人福岡県トラック協会 会長 |
真鍋庸人 |
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九州トラック交通共済協同組合 理事長 |
二又大榮 |
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株式会社丸久金属商会 社長 |
松下太一 |
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1.来賓紹介 |
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1.祝電披露 |
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1.花束贈呈 |
黄綬褒章受章者のお孫様 |
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1.記念品贈呈 |
博多港輸送センター協同組合 副理事長 |
発起人 松永篤朗 |
(西日本運輸事業協同組合 代表理事) |
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1.お礼のことば |
黄綬褒章受章者 福岡県トラック事業協同組合連合会 会長 |
摩須久壽 |
1.乾杯 |
社団法人福岡県トラック協会 副会長 |
井上春一 |
1.祝宴 |
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1.祝い目出度 |
戦友会有志 |
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1.博多一本じめ |
丸徳運送株式会社 専務取締役 |
若山正信 |
1.万歳三唱 |
福岡県中小企業団体中央会 専務理事 |
山口進 |
1.摩須久壽氏ご退場 |
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1.閉会のことば |
新小倉運輸事業協同組合 理事長 |
発起人 大屋静雄 |
お礼のことば
本日は不肖私のために盛大に祝賀会を催して頂きまして、誠にありがとうございました。心よりお礼申しあげます。
このたび、はからずも黄綬褒章という身にあまる光栄に浴しましたことは、行政のご指導をはじめ業界並びに組合員または荷主等、私を取巻く方々の暖かいご協力、ご支援の賜と心より感謝申しあげる次第でございます。
顧みますと、昭和17年国を挙げての戦いの中、17歳で陸軍少年飛行兵に志願。東京陸軍航空学校、宇都宮陸軍飛行学校を卒業後、南方戦線(マレー)を転戦し、終戦一年後復員。郷里の徳島県出身者が多かった遠洋漁業に従事するため福岡へ出てきましたが、東支那海での漁船拿捕事件の続発を機に陸に上がり、大阪にて酒類販売会社に勤務しながら自動車運転免許を取得、昭和28年第二の故郷福岡に戻り運送業に取組み昭和34年6月に念願の会社をトラック三台で組織し、丸徳運送株式会社を設立いたしました。
以来32年有余、業界の皆様には大変暖かいご指導を頂きました。
その間、協同組合の指導に務め、九州トラック交通共済も昭和46年5月設立に漕ぎ着け現在に至っております。又、昭和54年4月(社)福岡県トラック協会福岡支部と福岡県運輸事業協同組合連合会との統合が成立し、支部一本化の体制ができあがり以来、協同組合と共に構造改善事業を推進することができました。
このことは皆様方の暖かいご協力とご支援の賜であり心から深く感謝いたしております。
私は幸いに、まだ健康でございますので、この栄に恥じないよう今後とも業界、協同組合あるいは組合員の発展のため微力ながら尽くしたいと思っております。
今後とも、末永くご指導ご鞭撻の程お願い申しあげます。
本日は誠にありがとうございました。
摩須久壽
経歴
<履歴> | |
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氏名 |
摩須久壽(ますひさとし) |
出身地 |
徳島県 |
現住所 |
福岡県福岡市城南区茶山4丁目6番17号 |
生年月日 |
大正15年1月14日生 |
<学歴> | |
昭和18年9月 |
東京陸軍航空学校卒業 |
昭和19年8月 |
宇都宮陸軍飛行学校卒業 |
昭和21年6月 |
軍籍に在り南方(マレー)終戦復員 |
<事業歴> | |
昭和34年6月 |
福岡県福岡市において丸徳運送株式会社を設立 専務取締役に就任 |
昭和37年5月 |
丸徳運送株式会社 代表取締役に就任 現在に至る |
昭和50年1月 |
有限会社田中運送 取締役に就任 現在に至る |
昭和51年2月 |
箱崎営業所を開設 |
昭和54年8月 |
丸徳自動車整備工場を併設 |
昭和57年2月 |
丸徳マイカーランドを開業し中古車販売に着手 |
<民間団体職歴> | |
昭和39年11月 |
西福岡トラック事業協同組合 理事に就任 |
昭和39年11月 |
福岡県トラック事業協同組合連合会 理事に就任 現在に至る |
昭和42年4月 |
西福岡トラック事業協同組合 代表理事に就任 |
昭和44年4月 |
西福岡交通安全協会 理事に就任し営業貨物支部長を拝命 |
昭和44年5月 |
(社)福岡県トラック協会福岡支部 理事に就任 |
昭和46年2月 |
(社)福岡県トラック協会福岡支部 副支部長に就任 |
昭和46年5月 |
(社)福岡県トラック協会 理事に就任 |
昭和46年5月 |
陸上貨物運送事業労働災害防止協会 福岡県支部委員に就任 |
昭和46年5月 |
九州トラック交通共済協同組合 理事に就任 現在に至る |
昭和47年2月 |
博多港輸送センター協同組合 理事に就任 現在に至る |
昭和48年5月 |
福岡市道路利用者会議 理事に就任 |
昭和52年11月 |
(社)福岡県トラック協会福岡支部 副支部長に就任 |
昭和52年11月 |
陸上貨物運送事業労働災害防止協会福岡県支部 副支部長に就任 |
昭和52年11月 |
陸上貨物運送事業労働災害防止協会福岡県支部 福岡分会長に就任 |
昭和53年11月 |
博多港輸送センター協同組合 代表理事に就任 現在に至る |
昭和54年9月 |
福岡県トラック事業政治連盟 理事に就任 |
昭和54年10月 |
福岡県トラック事業協同組合連合会 会長に就任 現在に至る |
昭和54年10月 |
日本貨物運送協同組合連合会 理事に就任 現在に至る |
昭和55年5月 |
(社)全日本トラック協会 理事に就任 |
昭和56年5月 |
福岡地区トラック政治研究会設立 会長に就任 |
昭和56年8月 |
協同組合福岡県トラック輸送センター 代表理事に就任 現在に至る |
昭和58年9月 |
福岡県高速道路交通安全協議会 理事に就任 現在に至る |
昭和62年4月 |
全国トラック交通共済協同組合連合会 共済運営委員に就任 現在に至る |
昭和62年11月 |
福岡県貨物自動車運送事業構造改善推進協議会 副議長に就任 現在に至る |
<賞罰> | |
昭和16年5月 |
兵庫県青年学校連合会代表として皇居前において御親閲拝受 |
昭和32年7月 |
博多水上警察署長より人命救助で表彰状受賞 |
昭和49年11月 |
福岡県陸運事務所長より業界功労による表彰受賞 |
昭和51年5月 |
西福岡警察署長より地区交通安全に尽くした功績に対する感謝状受賞 |
昭和53年10月 |
陸上貨物運送事業労働災害防止協会会長より業界功績による表彰を受賞 |
昭和54年6月 |
福岡陸運局長より業界功績による表彰を受賞 |
昭和55年10月 |
陸上貨物運送事業労働災害防止協会会長より業界功績による表彰を受賞 |
昭和56年3月 |
(社)全日本トラック協会会長より業界功績による感謝状受賞 |
昭和57年5月 |
日本貨物運送協同組合連合会会長より業界功績による表彰を受賞 |
昭和57年10月 |
陸上貨物運送事業労働災害防止協会会長より業界永年功労による感謝状受賞 |
昭和58年6月 |
運輸大臣より斯界発展に寄与した業績により表彰を受賞 |
昭和58年9月 |
(社)福岡県トラック協会会長より協会発展に貢献した功績により感謝状を受賞 |
昭和61年6月 |
九州トラック交通共済協同組合理事長より組合の役員として組合業務の発展と |
業績向上に貢献した功績により15周年を迎えるに当り表彰状を受賞 |
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昭和62年5月 |
(社)福岡県トラック協会会長より業界発展に尽力した功績により感謝状受賞 |
摩須久壽氏黄綬褒章祝賀会発起人
発起人代表 |
福岡県トラック事業協同組合連合会 副会長 |
野田嘉樹 |
(九州協栄運輸事業協同組合 理事長) |
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発起人 |
自由民主党福岡県連 会長 衆議院議員 |
太田誠一 |
衆議院議員 |
山崎拓 |
|
福岡県トラック事業協同組合連合会 副会長 |
久富久和 |
|
(周防灘運輸協同組合 代表理事) |
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博多港輸送センター協同組合 副理事長 |
松永篤朗 |
|
(西日本運輸事業協同組合 代表理事) |
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新小倉運輸事業協同組合 理事長 |
大屋静雄 |
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福岡県少飛甲種15期生会 代表 |
清田嘉治 |
|
(九州大栄陸運株式会社 人事部長) |
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丸徳運送株式会社 専務取締役 |
若山正信 |
祝電など
新聞記事