落合莞爾先生の対談動画をアップ(裏天皇の正体を明かす!海外王家と日本の天皇の関係)


落合莞爾先生の対談動画をアップ(裏天皇の正体を明かす!海外王家と日本の天皇の関係)
2020年7月29日(水) 未明
 
7月18日に公開された落合莞爾さんと松本道弘さん(英語通訳者)の対談を、「黒板五郎のウバイド國體ワンワールドにアップした。以下の記事の中の一番最後の動画「裏天皇の正体を明かす!海外王家と日本の天皇の関係」【松本道弘×落合莞爾・むすびディベート】」である。
 
國體ワンワールドに関する動画を見つけたubaido.hatenablog.com
 
落合莞爾先生の話(戦後に米国GHQがねじ曲げてしまった真実の日本史、だから、学校史学が教えない真実の歴史)を無料で聴けるのだから、有難い企画である。
 
上の記事の中で紹介している他の9本の対談動画も、全て隠された真実の歴史のお話である。
ねじ曲げられた、または、皇室が秘匿し続けた真実の歴史が満載なので、まあ、多くの日本人に聴いて貰いたい内容である。私を含めて、学校史学しか知らない国民には、信じ難い内容ばかりであるが、これが真実の歴史であり、ちゃんと歴史の各所に残っている真実である。
 
今回アップした動画の内容は、ザックリ言えば、以下。
 
●幕末の、井伊直弼が進めた安政の大獄は、実は八百長であり、その目的は、1815年のウィーン会議で決定された「日本皇室の世界王室連合への参画」、即ち、荒廃した欧州の立て直しのために、既存の欧州王室連合(英、ベネルクス、スペイン、ハプスブルク、etc)に日本皇室も参画して貰い、世界王室連合として世界の國體護持を推進して貰うこと。そのために、鎖国政策を取ってきた日本を開国して、本格的に世界に出て来て貰うこと。それを実現するための荒療治の下地作りが、安政の大獄である。
要人たちを蟄居という形で、表向きには謹慎している様に見せかけ、実は、京都学習院に集まって貰い、江戸幕府のクローズ→明治維新(公議政体への切り換え)のための議論をしたのである。当然ながら、幕府、薩長土肥、ほかの主要人物(上級武士、下級武士を問わず)、公家を集めた訳であり、彼らに忌憚のないワイワイガヤガヤ議論をさせたのである。
 
●日本の皇室の起源を辿ると、元々は、中央アジアの高山地帯で氷河期を生き抜き、氷河期が終わった後に、チグリス川、ユーフラテス川の間にあったウバイドの丘に降りて来た民族である。
 ウバイド人(「ウバイド人」という呼称は落合先生の命名)は、両大河で砂金が取れなくなると、次の砂金採取の地を求めて、集めた黄金を持参しながら東西(海路と陸路の4ルート)に分かれて行ったのだが、東の海路ルートで進んだウバイド人が、メソポタミア(出発点)→インダス→南シナ海と経由して最後に東極である太平洋岸の日本列島に渡来し、その一部で那の津(現福岡市)に上陸したウバイド人が、原住民であった縄文海人安曇族と混淆して作った部族が皇室の発祥である。
 この部族の何代目かの族長であったイワレ彦が、大陸からの騎馬族の侵入に対抗するために、陣地の縦深化を図る事とし、元の陣地には偽装族長として卑弥呼(女性)を配置し、自分は瀬戸内海を渡って紀伊半島のヤマトに入り、奥の院としてヤマト王権を開いて初代天皇(神武天皇)となったのである。
 その何代目かあとから、国内の統治とウバイド人としての黄金管理という二つの使命を担うために、天皇の役割を二人体制(オモテの天皇とウラの天皇。ウラの天皇の中の何人かは「大兄」という称号が付いた)で日本国を引っ張って来たが、この開国・明治維新を契機に、世界対応+黄金管理を担うウラ天皇を明確にして二極体制で走り出したのである。この二人の天皇を分かり易く説明するために、オモテの天皇を政体天皇、ウラの天皇を國體天皇と落合先生が命名した。
 この二極体制を作るために、多分、光格天皇の代(1817~1846)あたりから準備を始めたと思うが、江戸時代の最後の天皇であった121代・孝明天皇の皇子だった睦仁(むつひと)親王を國體天皇系統に、一方、周防国から呼び寄せた大室寅之祐(同じく、護良親王の直系男系子孫)を表向きの睦仁親王として政体天皇系とする二極体制を開始したのである。
 
●動画の中で、「禊ぎ(みそぎ)」として、そろそろ、真実の歴史を日本国民に開示せねばならないという考えのもとに、皇室(多分、当時の國體天皇だった堀川辰吉郎。高松宮殿下の実父)が、落合莞爾さん(彼も護良親王の直系男系子孫)に白羽の矢を立てて、真実の歴史を開示させ始めたのである。