実家の「墓じまい」、最も多いトラブルは?


実家の「墓じまい」、最も多いトラブルは?
2016年5月13日(金) 晴れ
更新:2024年6月2日(日)
 
 実家の「墓じまい」、最も多いトラブルは?
 
上の記事は、お墓の管理について書かれたものである。
 
お墓と言うものは、どうしたものか。・・・・・・実のところ、良く分からない。
檀家宗旨、・・・・・・これも、分かった様で良く分からない。
 
一応の話をすると、私の親族(摩須家)のお墓は、福岡市の西部、山の中腹の霊園に在る。
父が、生前に買い求めたものである。だから、まだ新しい。先祖代々から受け継がれて来たお墓ではない。
 
それとは別に、菩提寺にも、お墓の区画を買っているらしい。こちらは、お寺のお堂(複数階の建物)の中に並んでいる。
例えて言うならば、霊園のお墓が「一戸建て」、菩提寺のお墓が「マンション」と言った様なものである。
「どちらがどうだ」という区別は、私にはわからないが、菩提寺が管理している方は、入る時に永代供養の契約になっているらしく、ご住職が、継続的にお経を上げてくれるのだそうである。
 
【2018/2/15追記】
今年の正月、福岡の実家に帰省した際に、母と話をしていたら、一つ、私が勘違いしている事が分かった。
上の記事には、摩須家のお墓が、福岡市西部の霊園と、東長寺(博多駅近く)の中にもあると書いたが、東長寺の方の区画は、親戚は買っているけど摩須家は買っていないそうである。
そこで、「今後の事(子孫が代々墓守をして行くこと)を考えて、東長寺の中の区画も、残っているうちに買っておいてはどうか」と母に提案しておいた。
墓が二つになるのを、母が気にしていたので、「今度のお彼岸に、お坊さんが来られた時にでも、相談してみると良い」と伝えた。
 
霊園の方のお墓には、車で盆帰省した際に、お参りしている。
 
では、私の家族が、このお墓に入るのかと言うと、それも良く分からない。
今は三島(静岡県)に住んでいるし、子どもたちは東京と浜松だし。私は二男だし。
 
仮に、二男の私は「分家」と言うことで、こちら(静岡)にお墓を買ったとしても、この記事にもある様に、先々の事を考えると、「お墓」と言う形が良いのかどうかも分からない。
今のところは、まだ何も考えていない。
 
宗旨檀家についても、同じである。
一応、我が親族は真言宗であり、親族の菩提寺は、福岡の博多駅近くにある東長寺である。
東長寺は、弘法大師が、日本で最初に開山したと言う由緒あるお寺であり、「真言宗の別格本山」と呼ばれている。
 
こちら(静岡県)でお墓を作るとしたら、多分、真言宗のお寺を探すのだろうとは思うが、お墓自体は、宗旨に関係ない霊園が多いので、そういう所(富士山が見える丘の霊園とか。笑)を選ぶのかもしれないし、お墓自体を持たない可能性もある。
散骨にして、位牌だけを仏壇で管理するとか。
まあ、良く分からない。今のところ、まだ先が見えているとは思っていないので、ゆっくり考えよう(笑)。
 
【2024/6/2追記】
福岡にあるお墓については、少し後に母から伝えられたのだが、福岡の墓は、本家(父・久壽が福岡の地に興した摩須久壽家本家)の墓であるから、墓(+仏壇)を継ぐのは兄(長男)であり、二男の私は、この墓には入れないとの事である。
従って、我が家の墓を持つとしたら、三島市近辺に造る事になるのだと思うが、今では、私は「墓は造らない(造る必要は無い)」という心境に至ったので、造る事はない。
カミサンには、「私の骨を拾う必要もないし、拾ったとしても散骨してくれれば良い」と伝えている。葬儀も不要だと伝えてある。
代わりと言っては何だが、小さな仏壇と「摩須家先祖代々之霊位」という位牌は、5年ほど前に入手した。毎朝、仏壇に線香を上げて、ご先祖様に感謝の気持ちを伝えているのは言うまでも無い。
 
ちなみに、「肉体は別物だ」と言う話も最近は聞く。
肉体は、一時期の姿であり、生まれて死ぬまでの三次元の世界に存在するものであるが、は、ずっと生き続け輪廻転生する多次元の存在なのだそうである。
 
一つ思い当たる話として、今の自宅(中古住宅)を29年前に買った時に、地元であるカミサンの実家が懇意にしているお寺の住職さんにお願いして、方位除け(鬼門除け)の祈祷をして戴いたのだが、
お経を終えた後に、ご住職より、
 「お経を上げている最中に、摩須家のご先祖様達が、私の周りに沢山集まって来ましたよ。摩須家は氏族だってねぇ
と言われたのである。
このご住職は、滝に打たれて修行を積んだ方だそうで、そういうものが見えるのだそうである。
 
その時に思ったのだが、
実は、私の父は、子供の頃に、子供のいなかった叔母さん(実母の妹)の嫁ぎ先(摩須家)の養子になったのである。
だから、DNA的には、摩須家(養父の家)の血統ではないのである。
それなのに、ご住職さんが、「摩須家の先祖が沢山現れた」と言われたので、
 
もしかしたら、「肉体、血筋、DNA」の繋がりと言うモノは、実は、「この世(現世)に生きている間」だけの仮の繋がり(魂の世界としては全く別系統に属する魂が、同じ血統の肉体という有限の個体に宿っただけ)であって、「魂、家、契り」の繋がりとは全く関係無い。
「魂、家、契り」の繋がりの方が、永く続く繋がり(縁(えにし)なのではないかと思ったのである。
 
ちなみに、「摩須家」については、その後、色々と分かった事がある。
1990年代に入るとPC、インターネットが普及し始めて、我が家もPCを買ったが、ある日、「摩須」と言う文字列をネット検索したところ、確かに、氏族に繋がる情報にヒットしたのである。
その情報は、古事記の一部であった。
即ち、古事記の文面に「摩須」と言う文字があったのである。
昔々、丹波と言う地方(現在の丹波地方ではなく昔の丹波。現在の地名は丹後半島にある京都府京丹後市あたり)に、丹波川上の摩須氏と言う豪族がいて、川上摩須良王(ますらおう)と呼ばれていたそうである。
その娘さんが、「摩須郎女(ますのいらつめ)」と言う表現で、古事記の中に出て来るのである。
何故、古事記に出て来るかと言うと、摩須郎女が、大和王朝の四道将軍の一人であり、丹波の国王であった大和王朝の王族・丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)と結婚し、その間に生まれた娘・日葉酢媛(ひばすひめ)が、第11代天皇・垂仁(すいにん)天皇の皇后になったそうである。
そして、二人の間に生まれた子供が、第12代天皇・景行(けいこう)天皇となったそうである。
まあ、そんな内容が、古事記に書かれているのである。
だからと言って、摩須家の先祖が氏族・川上摩須良王であったと言う証拠など何も無いのだが、以来、私は、勝手にそう思っている。
このブログの名前が「masuraoo」となっているのも偶然ではない(笑)。
 
それから、最近、落合莞爾先生より、國體ワンワールド史観を勉強しているが、
上に書いた四道将軍・丹波道主命と丹波河上の氏族・摩須良王の娘(摩須郎女)の間に生まれた娘(日葉酢媛)が皇后となった第11代垂仁天皇は、任那から戻った、任那天孫族・10代崇神天皇の皇子だということが分かった。
参考⇒天皇の系図