民族特性

民族特性
2015年07月20日(月) 晴れ

 本日、2回目の投稿である。お昼にカミサン手作りのパスタとワインを飲んで、少々、ほろ酔い気分である。
 さて、フェイスブックの記事を眺めていて、面白い記事を見つけたので紹介する。

 福澤諭吉公(壱万円札)は、1885年(明治18年)にして、既に、中華民族朝鮮民族の民族特性を把握し、彼らとの付き合い方を悟っていたんですなあ。
外交のプロたる外務省は、歴史に学び、このくらいの事は最低限学習していて然るべきだったと思う。そうすれば対中国、対朝鮮外交はもっと実のある結果になっていたし、先日の世界遺産登録での韓国相手の大失態は冒さなかったであろうに。
 こと、中国、朝鮮に関しては、「話せば分かる。彼らも我々日本人と同じ人間なんだ。」と言う妄想は絶対に抱かないことである、韓国人の民族特性なんて、まさに、韓流ドラマそのものである。嘘の固まり、隠し事オンパレード、恨み/復讐の文化、真実(道理)なんて発想なし、とにかく言ったモン勝ち、騙したモン勝ちの民族性である。卑しい民族である。
福澤諭吉公が「時事新報」紙上に掲載した社説「脱亜論」原文
http://www.jca.apc.org/kyoukasyo_saiban/datua2.html
■同上、現代文訳(こちらが分かり易い)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/isa_datuaron.html

 憲法第9条護持、戦争反対、会話を尽くせば平和は保てる」と思っている日本国民の方々は、いい加減眼を覚まし、現実を見て日本の将来を真剣に考えて欲しい。残された子供達の平和を考えるなら、嫌なことは先送りして「今が一番、憲法9条」に縋り付くのではなく、そういう道理の通じない相手であることを認識して次の一手を考えるべきである。戦争をしたくない、平和を願うと言う想いは、全国民の同じ想いである。憲法第9条護持、戦争反対、会話を尽くせば平和は保てる」と主張する人達は現実逃避しているに過ぎない。