盆帰省2009


盆帰省2009
時期:2009年8月8日(土)~8月16日(日)
執筆:2023年1月24日(火) くもり
 
13年半前の帰省&旅行の記録を、再編集してみる。
 
【1】往路(三島~福岡) 2009年8月8日(土)~8月9日(日) 
 
昨年は、二男(高校3年)の受験合宿(高校行事)があり帰省できなかったため、夏の帰省は2年ぶりである。
 
一人暮らしの80歳を過ぎた母には、盆の祭壇の準備が大仕事らしく、可能な限り帰ってやらねばと思っている。
そんな訳で、4年前に父が亡くなってからは、夏の帰省は、極力、旧盆(福岡の「盆」は旧盆)の時期に合わせている。
 
今回は、長男(大学3年)が就活のため東京に残るとの事なので、夫婦と娘(大学4年)、二男(大学1年)の4人で帰省する事になった。
なお、今年は、盆前におなご衆が一息入れるらしく、8/10から一泊で嬉野温泉(佐賀)に行く計画を立ててくれている。母と姉と義姉と我が家の家族の合計7人で盆前に温泉を楽しんでくる。
 
盆と言えば、4年前の父の初盆(新盆)の時には、何の前ぶれもなく、思いがけない方が弔問に訪れて来られたので驚いたものである。
呼び鈴が鳴ったので玄関に出迎えたところ、その方が単身で玄関の前に立っておられた。恐らく、秘書の方は車の中で待っておられたのだろうと思う。
お焼香させて下さいと言われるので、家の中に上がって戴き、仏間に案内すると、お線香を上げてから帰られた。母と私は玄関までお見送りするだけである。
テレビにも時々出演されていた方なので、多分、殆どの人が知っていると思うが、自民党の幹事長も務められた山崎拓さんである。いやあビックリした。彼は地元福岡が地盤の代議士であるが、県議の頃(その前の市議の頃?)から父は後援会に入っていて繋がりがあったらしく、葬儀の際にも弔電を戴いていた。
 
今年の盆帰省は、移動日を含めて9日間だが、嬉野温泉旅行、祭壇の準備、3日間の盆祭事があるので、福岡の街に買物に出る余裕は無いかもしれない。
まあ、牧のうどんと、チャンポン皿うどんが食べられれば満足である(実家の向かいにある店の皿うどんが結構美味い)。
なお、皿うどんとは言っても、パリパリに揚げた麺の長崎皿うどんの事ではなく、地元福岡でしか殆ど知られていない博多皿うどんの方である。
 
[追記]
私の生誕地は、現在の福岡市早良区昭代(しょうだい)と言うところである。産婦人科ではなく、母の実家でお産婆さんに取り上げられた。
実家の裏には、当時、国鉄筑肥線の線路があって、蒸気機関車やディーゼルカーが良く走っていたものだ。今は廃線となり線路は道路に変身している。
小学校2年の時(昭和37年)に、生まれ育った昭代町から今の実家である茶山に引っ越して来たのだが、その当時の茶山と言えば、家の前の道は未舗装であり、道の向こう側は原っぱが続き、何も遮るものがなく2㎞先の城南中学校が正面に見えていた。電話線(電柱)が敷設されたのは引っ越してきた後だったと思う。それが今では、実家の前の道は片側2車線と道幅が広くなり、何と地下には市営地下鉄七隈線が走っている。あの辺りも随分変わったものだ。
 
土曜日(8/8)の午後に、夫婦と、2週間前に東京から我が家(三島)に帰省していた娘、この日の朝に浜松から自宅に帰って来たばかりの二男の4人で三島の自宅を車で出発。
大学が浜松の二男は、前日に試験が終わり、夜に部活の宴会があったそうなので、こちらが行きがけに浜松に寄って拾ってあげても良かったのだが、一旦は自宅に帰って来るとの事だったので、福岡への出発を午後にしたのである。
 
台風が近づいているので、お天気は悪いかと予想したのだが、今のところは週末は晴れるらしい。休日の高速道路料金がmax千円と割安になったために渋滞が心配ではあったのだが、旧盆より少し早い時期なので、渋滞のメッカ・宝塚(兵庫県)さえ夜のうちに抜けられれば、山陽自動車道、中国自動車道は渋滞が少ないので、何とか行くだろうと思っている。
 
福岡に入ってからの経路は、以前は、九州自動車道の福岡ICで降りたあと、福岡都市高速で百道(ももち)ICまで走っていたのだが、前回の帰省から経路を変更して、九州自動車道の太宰府ICまで進み、福岡都市高速5号線で堤ICまで走るコースに変更した。この方が(高速料金は少し高いが)、福岡の都心を避けられるので渋滞がなく時間的にも早い。その都市高速5号線も、今は野芥(のけ)まで延びているらしい。
実家の茶山(ちゃやま)に帰るには、理想を言えば堤ICと野芥ICの中間地点である福岡大学医学部辺りにICがあるのがベストなのだが、贅沢は言ってられないので、今回も堤ICで降りることになる。そして、片江の「牧のうどん」を食べる。(笑)
 
1 夜の関門大橋(山口県側の壇ノ浦PAより)
 
実家には、翌日(8/9)の早朝に無事到着した。
 
【2】地震 8月11日(火) 
 
この日の朝、留守中の静岡で震度6の地震発生!
 
我が家の様子はどうなのだろうか。と言うのも、この日は佐賀県の嬉野温泉にいたからである。
万一、東名高速道路に亀裂でも入っていたら、三島に戻れなくなる。ともあれ、家族全員が静岡県外に出ているので無事で良かった。
 
2 嬉野温泉の朝(2009.08.11撮影) 佐賀県嬉野温泉
 
 
 
【3】有田焼き 8月11日(火) 
 
嬉野温泉からの帰りに、有田に立ち寄り、有田焼きの焼き物を観てきた。
最初に立ち寄ったのが有田ポーセリンパーク。やはり本場有田である。色んな焼き物、色んな絵柄がある。しかも安い。絵付けで、ほんのちょっとミスったものや、茶碗の裏に作者の名を入れ忘れただけと言った「訳あり」ものが、市場価格の何分の1かで売られていた。いわゆる掘り出し物である。
 
2軒目に立ち寄ったのは、有田焼卸団地である。「有田陶磁の里プラザ」という名前が付いている。
「団地」と呼ぶだけあって、ここには30軒弱の有田焼の店が並んでいる。
2時間で観て回ろうと思っていたのだが、珍しい焼き物や掘り出し物が並んでいたため、1軒目で30分掛かってしまい、結局、10軒ほどで時間切れである。時間があったらジックリ見たいところである。有田焼きは色が鮮やかで本当に美しい。
 
5 有田ポーセリンパーク(2009.08.11撮影) 佐賀県有田町
 
 
 
【4】天神散策 8月12日(水) 
 
お盆の祭壇の準備が終わり時間が空いたので、午後から天神(福岡市の中心街)に出て、夕食は天神で外食することにした。
娘が9月に教育実習(音楽)に行く予定であり、教育実習に着ていく服が要ると言うので、岩田屋デパートの大きいサイズ売り場へ。何せ、娘は体重が90kgを超えるため、サイズの合う服がなかなか無い。
「あーでもない、こーでもない」と言って、なかなか決まらないので、娘一人を売り場に残し、先に二男の服を買うために5階の紳士服売り場へ。
こちらはスンナリ決まり、再び4階の娘のところに戻ると、1〜2枚の筈がチャッカリ3枚のブラウスを決めていた。これはお婆ちゃんからのプレゼントと言われていたので、預かっていた岩田屋の商品券で支払う。
 
予定の買い物が終了したので、子供達とは別行動することにして一旦解散。
夫婦で、岩田屋新館の地下や三越の家庭用品売り場を散策。田舎の三島とは違い、さすが大都市・福岡、品物が揃っている。カミサンが、テレビの通販番組を見て気になっていたシリコン製の洗い桶が店頭で見つかったので買うことに。何でも、桶の側面が蛇腹になっていて、桶の水を流す時には蛇腹をたためば簡単に水を流せて楽なのだそうである。男には分からない領域である。
 
夕方になって、母と姉が合流。姉は、「今夜はダンナさんが遅くなるので夕食不要」との事なので、我々と夕食を一緒にすることにしたのである。
 
姉の息子の誕生日が近いとの事で、三越の紳士服売り場でプレゼント選び。半額セール商品の中にいいものを見つけ買うことにしたが、着た時のイメージをつかみたいとのことなので、同伴していた我が家の二男が代わりに着てみた。なかなか良いと言うことで決まったが、姉は、モデル代としてウチの二男にも一着買ってくれると言う。半額で良い品物だったので私が買ってやろうと思っていたところだったのだが、姉がまとめてカード決済をしてしまった。
仕方がないので、現金で1万円だけ払うと言って姉に渡したのだが受け取らず、「それなら大ちゃんが貰っときー」と言って結局、1万円は二男の手に渡ることになった。服は買って貰うは、小遣いはゲットするはで、二男はホクホク顔である。
 
夕食は、天神地下のソラリアステージで取る。和食の店「石蔵」と言う店である。
レディース向けの料理が良かったので、男ながらも私はそれを注文。ところがビールを飲み過ぎてしまったのか、デザートとして付いていたアイスクリームが運ばれてくる前に席を立ってしまった。姉が会計の時に、「アイスクリームを食べてないからその分引いてください」と一応言ってみたら、「では今からお持ちします」と会計の店員の答え。さすが客商売のプロ、一枚上手である。
 
【5】余談 
 
《セルフ給油》
 
実家の近くのガソリンスタンドで給油した時のお話である。
 
私は、セルフサービスのガソリンスタンドは苦手であり、過去に1度しか利用したことが無い。今回が2度目の利用であるが、説明書きのとおりにノズルを引き抜いて車の給油口に刺し、レバーを引いたのにガソリンが出ない。何度やっても同じである。
これだからセルフは嫌なのだ。仕方がないので、店の方に行って中を覗いたが誰もいない。他の店に行くしかないと思っていたところへ、店の人が出てきた。
 
「ガソリンが出ないんですけど」と言うと、「お金は入れましたか?」と店員。
「エッ?」と反応した私に「左の機械からお金を入れてください」と店員。
 
カードを差し込んだところ、右側の機械の料金カウンタが0にリセットされた。
レバーを引くと今度はガソリンが出てきた。しかし、手を離すと給油が止まる。
前にやった時は、1回レバーを引けば、あとは満タンになるまで自動で給油されたと言う記憶があるが、ここの機械は、そうではないらしい。
そうなると、いつレバーを離せば良いのか分からない。満タンになってガソリンが溢れても困るし・・・。
迷ったが、腹を決めてレバーを引き続けると、満タンになったところで給油が自動的に止まった。まったく、セルフとは厄介なものだ。
 
《追記》2011.01.21(金)
 
今ではセルフにも随分慣れた。それでも、店に依っては満タンになる前に給油が止まる場合がある。これは今でも原因が分からない。
車に何リッター入るかなんて覚えていないので、給油が止まったら当然満タンになったと思うので蓋を閉めて車に乗る。そしてエンジンをかけてメーターを見た時に初めて満タンじゃないと分かるのである。そうなると、また降りて入れ直す気にはとてもなれず、結局、そのまま行ってしまうことになる。
 
《無線WAN》
 
現在、福岡に帰省中であるが、このブログへの書込みは、最近買ったウルトラモバイルPCを使って書いている。
画面が、A4ノートPCの1/4くらいしかないので、文字がとても小さい。しかし、まあ、我慢すれば使える。
それよりも、インターネット接続の方が大変である。NTTドコモの無線WANサービスを利用しているのだが、電波の届く地域に制限がある様であり、実家の「茶の間」でインターネット接続したところ繋がらない。ガックリである。しぶとく2階の部屋で試したところ、今度は繋がった。僅かの差で電波の入り具合が違う様だ。
 
ちなみに、嬉野温泉のホテル(7階)では、電波の受信具合を示す棒が3本立ち、受信状況は良好であった。やはり、電波は高い所ほど入り易い様である。
 
《追記》2011.01.21(金)
 
今年の正月に帰省した時には、茶の間でも繋がる様になっていた。ソフトバンクのiPhone(電波の届くエリアがお粗末)との優位性を高めるために、ドコモがアンテナを増やしたのだろうか。
 
【6】現場検証 8月15日(土)~8月16日(日) 
 
送り火を焚いたあと、夕食を済ませてから、19時過ぎに茶山の実家を出発して帰途につく。
16日(日)が旧盆帰省の復路のピークと言われているので、前夜のうちに出発して翌日のピーク前になるべく距離を稼いでおこうという作戦である。
 
ところが、福岡都市高速から福岡ICを経て九州自動車道に乗った時点で早くも渋滞情報が出ていた。
今年は、地震による東名高速の不通、max千円という割引など影響の見えない要素があるためか、渋滞予想が全く当たらない。
それにしても、九州自動車道の上り(福岡〜門司)でこの時間に渋滞が発生するのは珍しい。八幡ICの先のトンネルの中から渋滞が始まり、車の流れが止まってしまい、関門橋まで到達するのに2時間近くを要してしまった。
さらに、いつもなら山口県に入ると流れがスムーズになるのだが、今回は渋滞が続く。
 
広島まで一気に運転したいと思っていたのだが、運転を始めて3時間半を越えてしまったため、下松SA(山口県)でカミサンと運転を交替することに。
行く先々のSA(サービスエリア)は、どこも駐車場待ちの車の列が高速道路本線まで溢れている状態であった。
 
さらに3時間が経過し、吉備SA(岡山県)にて、カミサンから私に運転を交替。
15分ほど給油の列に並んでガソリン補給したあと、先を急ぐ。今回は途中で仮眠を取らないつもりである。
 
兵庫県に入ると、赤穂三木神戸宝塚で渋滞。
さらに大阪府に入っても、豊中吹田と渋滞が続いて、ようやく車が流れ出したのは名神高速道に乗ってからである。
 
草津JCTから東名阪自動車道に入る頃には、完全に夜が明けていた。
 
6時前に東名阪自動車道の土山SAに到着。朝食を取ってから、今度はカミサンの運転で出発。ここから先は渋滞もなく浜松西ICまでスンナリ進んだ。
 
ここで一旦、高速道を降りて二男のアパートに立ち寄る。地震の被害がどの程度かを確認するためである。
幸い被害は全く無し。8時過ぎにアパートを出て、再び東名高速道に乗る。
 
そして、牧之原SAの先、地震による道路崩落地点を通過。本日の0時に修復が完了して開通したばかりの道路である。
 
時速50㎞制限となってはいるが、速度を落とす車は全く無い。また、崩落した外側の車線を避けて、内側の追い越し車線を走る車が多いだろうと思っていたのに、この区間に限っては、殆どの車が外側の修復された車線を走っていた。野次馬根性と言うことか。
勿論、私達の車も外側車線を走って現場検証して来た。と言っても、積まれた土嚢は全く見えず、アスファルトの色が新しいという以外は普通の道路であった。
 
静岡県に入ってからは、スムーズに流れて来たのだが、日本坂トンネルを抜けた辺りから渋滞が発生、その渋滞を抜けると、今度は由比PAの辺りから再び渋滞区間となり、沼津ICを下りた時には午前10時を回っていた。
 
深夜を走っての渋滞の連続と言うのは初めての経験であった。max千円という高速道路通行料金割引の影響大と言うことなのだろう。
今回の割引対象日設定は、この日に移動を集中させなさいと言っている様なものであり、もう少し流量を分散させるための工夫をして戴きたいところである。例えば、8/5〜8/20の期間は全てmax千円に割引するとか。
 
追伸)
 三島の自宅は、ふくろうの置物が1個と、箪笥の上に積んであった空き箱が数個 床に落ちた程度であり、地震の被害は幸い無かった。
 
《追記》2011.01.21(金)
 
 今年の正月帰省の復路も、1月3日の夜に実家を出発後、太宰府ICから九州自動車道に乗った途端に渋滞にハマってしまった。それでも本州に入ってからは渋滞が余りなく、翌朝の8時前には沼津に着いた。