結婚披露宴帰省


結婚披露宴帰省
1987年5月2日(土)~5月4日(月)
更新:2020年6月9日(火)
 
父の意志により、私達の結婚披露宴を、私の活動ベースで新婦の出身地でもある沼津地区と、私の殆どの親族が住む福岡地区の二箇所で催すことになり、沼津での結婚式&披露宴、新婚旅行の後に、福岡での結婚披露宴を挙行した。
 
福岡での披露宴は、5月2日(土)の夜に「山の上ホテル」で行うことになっており、この日の午前中にカミサンのご両親と共に新幹線で福岡に移動した。
カミサンのご両親には、この年の4月に国鉄から分割民営化したJR東海の年配者夫婦向け企画である「フルムーン」を利用して、往復グリーン車を利用して貰った。我々夫婦は、普通車である。
 
博多駅で改札を出る際に、電車に乗り慣れていないカミサンのご両親が、切符(復路も含まれる周遊券)を駅員に渡してしまったが、すぐに気が付いたため、駅員に話して周遊券を返して貰えた。
 
この日は、披露宴のあとご両親には「山の上ホテル」に1泊して戴き、翌日は茶山の実家に泊まって貰う事にしていたので、早めにホテルに入ったご両親は、披露宴の前に何度もホテルの風呂に入られたとか。
 
福岡の親族は、母方の祖父が健在の頃には、毎年、1月5日の祖父の誕生日に昭代町の家に集まって宴を開いていたものだが、1968年に祖父が亡くなって以降は、集まる事も無くなっていたため、この日の宴では、久しぶりの親族が集合しての宴と言う事で、みんな飲んで歌って盛大な宴となった。
 
私の親族がみんな歌うものだから、カミサンのお父さんも『自分も指名されたら何か歌わなければ』と覚悟を決めていた様であり、指名に応えて歌を披露された。
 
翌朝、父が運転する実家の車でホテルまで迎えに行き、有田観光に出掛けた。
ところが、ゴールデンウィークの真っ只中と言う事で九州縦貫道が大渋滞して全く進まず、やむなく有田行きは断念して行き先を太宰府に変更。高速道路を降りて、太宰府天満宮、太宰府政庁跡、観世音寺に案内した。
 
太宰府の帰りに、油山の市民の森に立ち寄ってお茶タイム。福岡の街を展望して貰ったあと、茶山の実家に案内した。
 
翌日、新幹線で三島に戻り、カミサンの御両親は柿田のウチに、我々夫婦は沼津の社宅に無事帰還。
 
1 新婚旅行から帰り、早速、家事の始まり。沼津市沼北町の社宅にて。
 
 
3 太宰府観光。観世音寺拝観。
 
4 観世音寺 盧舎那仏(るしゃなぶつ)座像
 
5 戒壇院で記念撮影
 
 
7 太宰府天満宮
 
 
 
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11 博多どんたく。花自動車。
 
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