家族で父の故郷(徳島)に里帰り(1965年/夏)


家族で父の故郷(徳島)に里帰り(1965年/夏)
時期:1965年8月
作成:2019年3月27日(水)
 
旧盆の休みを利用して、父の故郷である阿波(徳島)に車で里帰りした。車は、父が何処からか借りて来たプリンスグロリアである。
 
❏往路(福岡~徳島(父の生家))
 
何時頃に福岡を出発したかは憶えてないが、日が沈んだ後に山口県の錦帯橋に到着。
 
錦帯橋を見物したあと、河原で持参したお弁当を食べる。その際に、おむすびにガブっとかぶりついたら中に梅干が入っていて、歯が梅干の種にゴキッと当たって痛かった事が忘れられない(笑)。
 
夕食を終えた後、車は更に先を目指す。
車の中では、夏休みの宿題(作文)のネタにするために、母と兄姉弟3人が協力して通過するトンネルの通過時刻、所要通過時間の計測と、トンネル名の記録を続けた。
 
当時は、まだ高速道路(中国自動車道、山陽自動車道)など無かったので、一般道を走り、かなり時間を要したが、岡山県の宇野港に着いたのは深夜であったと思う。
そこから宇高連絡船に乗って四国に渡った。「宇高」と言うのは、「宇野(岡山県)」と「高松(香川県)」の各一文字を取ったものである。
 
フェリーを下船して香川県を走っている時には既に夜が明けていて、台形のかたちをした屋島が左手(瀬戸内海側)に見えていた。
 
徳島県に入ると、小鳴門橋という橋があったので、立ち寄って少し時間を取った。
吉野川を渡ったのも記憶がある。
 
❏父の生家にて
 
父の生まれ故郷は、徳島市からさらに南に進んだ阿南市の新野(あらたの)と言うところの月夜村である。
  
父の生家に到着したのは午後に入っていた様に思う。長閑(のどか)な農村であり、近くの川で小学生が水着で川に入って遊んでいた。
当時は、今の様に学校にプールがある訳ではなかったし、月夜村からは海も近くはなかったので、この辺りの子供達は川で泳ぐというのが一般的だったのだろう。
 
生家には、父の実母と下の姉夫婦が住んでいて、もてなしてくれた。
ここの風呂は五右衛門風呂と言うやつであり、丸い鉄釜で底にスノコが敷いてあった様な記憶がある。
母屋の横には牛小屋があり、牛を飼っていたが、触るのはちょっと恐くて出来なかった。
 
それから滞在中のある日に、伯父さんに空気銃を撃たせて貰ったのを良く憶えている。何箱か弾を撃ったと思う。
 
お祖母ちゃんは、ちゅうぶ(中風)という病気に罹っていて、奥の暗い部屋で寝たり起きたりの生活をしていたが、我々の滞在中には庭先まで出て来た事もある。
 
こちらには数日間滞在したが、同じ時期に福岡から、西公園に住む親戚(父の上の姉の家族、伯父と3人の孫達(従姉の子供達))が来たので、生家の方で一緒に過ごした。
 
❏父の養家にて
  
月夜村の生家で何日か過ごした後は、徳島県をさらに南下したところにある海部(かいふ)郡由岐(ゆき)町木岐(きき)へ。こちらは漁村である。
 
父は、子供の頃、当時、子供がいなかった叔母さん(実母の妹)夫婦に請われて、養子縁組して叔母さん夫婦(摩須家)の子供になったのだが、この町は、父にとってはその子供時代を過ごしたもう一つの故郷である。また、この町(由岐町木岐)は私の母の生まれ故郷でもある。
 
ここ木岐は、海の幸が豊富であり、毎日、新鮮な鮑(あわび)の刺身を食べさせて貰った。それから、キャベツがとても新鮮で、きざみキャベツのシャキシャキとした歯ごたえがとても良かったというのが記憶に残っている。
 
漁がお休みのある日、近所の漁師さん(多分、父の子供時代の友人)が田井ノ浜に連れていってくれたが、浜から潜ってウニや鮑を沢山獲って来てくれて、浜で焼いて食べたのを憶えている。持参した御飯はきな粉をまぶしたお握りだった様な。
とにかく、プロの漁師が潜って獲って来たばかりの海鮮物を、その場で焼いて食べると言うのは、今にして思うと、こんな贅沢な事はない。
 
それから、ここに来る途中で田井ノ浜まで降りるのに、背丈まである草原を抜けて来たのだが、漁師の小父さんが先頭を歩き、長い棒で行く手を突きながら歩いていた。青大将(蛇)が棲息しているので、歩いて入る時には長い棒が欠かせないのだそうである。
 
青大将については、後日、生きた心地がしない恐い思いを味わうことになる。
養家の裏手にある田圃を兄と一緒に散策していた時に、畦道に青大将がトグロを巻いていたのに遭遇したのである。慌てて道を戻り別の方向に進んだのだが、今度は正面の木から同じく青大将が垂れ下がっていて、地元の中学生くらいの子供達が青大将と格闘している様であった。
もう、どちらに進んでも青大将に出会う気がしてパニック状態になってしまったのを思い出す。
 
それから、滞在中のある日、近くに住んでいた父の叔母さん(養父の妹?)が、由岐町の日和佐にある薬王寺に連れて行ってくれた。
行く途中で、叔母さんが扇子を拾ったのだが、扇子を拾う時には拾い方があるらしく説明をしてくれた。
 
木岐には、同じ時期に福岡から従兄(母の長兄の次男)も遊びに来ていたのだが、堤防で夜釣りをした翌日、釣った魚を近所の漁師の方が見てビックリしていた。この魚は毒を持っており刺されると危険な魚だったらしい。
 
まあ、これが徳島への里帰り旅行の思い出である。
 
なお、復路にて、広島県の宮島(厳島神社)に立ち寄って観光した。
 
【行程】

阿南市新野町月夜
海部(かいふ)郡由岐町木岐
海部郡日和佐町
(徳島県)
錦帯橋(山口県岩国市)
宮島(広島県廿日市市)
●自宅(福岡市)~[車]~錦帯橋~[車]~宇野~[宇高連絡船]~高松~[車]~(車中泊)
●~子鳴門橋(徳島県鳴門市)~[車]~新野町月夜(父の実家 数泊)
新野町月夜~[車]~由岐町木岐(父の実家 数泊)
木岐~[車]~薬王寺日和佐町)~[車]~木岐(父の実家泊)
木岐~[車]~高松~[宇高連絡船]~宇野~[車]~(車中泊)
●~宮島口~[宮島連絡船]~宮島厳島神社~[宮島連絡船]~宮島口~[車]~自宅


 
1 父方の従姉の長女、伯父(父の上の姉の夫)、従姉の次女
 
 
 
3 伯父、父
 
4 姉、母、私、父 
  
 
5 祖母
  
 
6 私