【由無し事】「西郷(せご)どん」が終わった

【由無し事】「西郷(せご)どん」が終わった
2018年12月17日(月) 雨、のち、晴れ
 
昨日、NHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」が終わった。
 
思い返してみると、結構長かった様な印象である。篤姫のお供で江戸に出た時の話など、結構昔だった様な気がする。奄美大島に島流しされた時の話も随分昔の話しだった様な気がする。
そう言えば、月照さん(清水寺住職)と京都から逃げて来て、鹿児島湾に身を投げるシーンもあったが、確か、月照さんを演じたのは、歌舞伎役者の尾上菊之助さんだった。しかしながら、尾上菊之助さんと言ったら、私の頭の中では、月照役ではなく、既に、下町ロケットの「ギアゴースト社長」役のイメージで上書きされてしまっている(笑)。西郷どんへの出演は、やはり、かなり昔だった様な気がする。

しかしながら、今回の「西郷どん」は、結構、冷静に見ていた。何しろ、落合莞爾さんから、西郷吉之助の歴史の真実を聞いていたから、真実とは随分ギャップがある西郷吉之助像を見ながら、所詮、林真理子さんの原作なんだから、こんなもんか、リアリティを期待しても仕方がないかと言う気持ちで見ていた。
それは、松田翔太さん演ずる徳川慶喜、笑福亭鶴瓶さん演ずる岩倉具視にしても同じである。真実とは余りにも掛け離れているので、「それはないでしょう」と思いつつも、「まあ仕方ないか」と思いながら見たものである。

結構、楽しいドラマではあった。

ドラマを見ながら夫婦で話していたのは、「早く、真実の歴史が国内に認知されて、真実の歴史に沿った内容のドラマ「西郷どん」だったら、さぞや面白かっただろうし、歴史に余り興味が無い国民にも、歴史の勉強になるだろうナァ」と言う事だった。
 
NHKの大河ドラマは、小さい頃から良く見ていたが、子供心に、このドラマの内容が真実なんだと信じて疑わなったものである。
だから、今回の「西郷どん」にしても、これが歴史の真実だと思い込んだ国民、特に子どもたちが多いことだろう。嘘の歴史が視聴者の記憶に焼き付けられるのかと思うと、誠に残念な話である。
そういう意味でも、落合莞爾さんが世に出している真実の歴史に沿った内容で放映されたら、どんなに良いかと思った次第である。
 
真実の歴史と、今回の放映内容(林真理子さんの原作)とのギャップについて、印象に残っている点だけを列挙しておく。

●西郷吉之助(隆盛)は、城山(鹿児島)では死んでいない。二人だったか三人だったか忘れたが、替え玉を用意し、その替え玉が代わりに死んでいる。ドラマでは無かったが、真実の歴史では、山県有朋が死んだ西郷の首を確認して、「西郷に間違いない」と言ったらしい。しかも、山県有朋は替え玉だと知った上で口裏を合わせて。
因みに、西郷吉之助は、奄美大島だけではなく、台湾にも渡っている。そして、台湾でも子供をもうけているそうである。
 
●本物の西郷吉之助は、西南の役の途中で、本体から抜け、海路で欧州に渡り、欧州で待っていた島津斉彬と再会したのである。目的は、日本を立憲君主国とすべく憲法(後の大日本帝国憲法)を創るために、欧州の憲法をリサーチすることであった。
即ち、島津斉彬も日本(薩摩?)で急死した事になっているが、これも偽装死であり、本人は、先に欧州に渡っていたのである。

●大山巌が、使節として数年間、欧州に派遣されているが、現地で、島津斉彬と再会している。多分、西郷吉之助とも会っていると思う。
 
●徳川慶喜は、実は、明治維新の真の立役者の一人だった。伏見宮邦家親王の皇子・尹宮(いんのみや)(中川宮、久邇宮)朝彦親王と一緒に一尹(いちいん)政権とも呼ばれたタッグを組んで明治維新の実現を推進した。
 
●井伊直弼は、元々、井伊家の人間ではなく、幕藩体制の幕引き⇒明治維新という大事業のために抜擢されて藩主に据え付けられ、安政の大獄という八百長により、関係者を蟄居・謹慎などという建前で既存の実務から開放し、或いは偽装死させて、明治維新の準備に専念させた。桜田門外の変で命を落とすのも予め計画されていたストーリーであり、本人は、武士の本懐は如何にして有意義に死ぬかという事を求め、悪役を演じて、水戸藩士に暗殺される事を承知していたのである。その際に、暗殺者がヘボだと息を引き取るまでに苦しむので、敢えて手練れ者を暗殺者に選んだらしい。つまり、桜田門外の変は、すべて、予め演出された(殺す側も殺される側も承知していた)イベントだったのである。

●天璋院篤姫は、薩摩今和泉分家の姫が本家の斉彬の養女となって将軍家に輿入れした事になっているが、真実は、少し違う。篤姫は、実は(どこの宮家だったかは忘れたが)皇女だったのである。将軍家に輿入れする事を目的として、宮家から島津家に養子として入り、将軍家に輿入れしたのである。
目的は、超優秀だった徳川慶喜(彼も母方は公家なので、半分は公家)を徳川将軍に就かせてしまったら、明治維新が遅れてしまうので、何とかそれを阻止し、慶福(後の家茂)を将軍職に就けることを井伊直弼と協力して画策する事だった。結果的には、家茂の後見人から行きがかり上、15代将軍職を受けざるをえなくなったが、すぐに大政を奉還して明治維新の実現に貢献した。徳川慶喜は、維新後も版籍奉還などにおいて、率先して利権(版籍)を差し出し、他藩のモデルとなった。

●岩倉具視は、大河ドラマの様な、あんなアホな人物では無い。周防国・田布施から連れて来られた大室寅之祐を、明治天皇(政体天皇)として立てるために、明治天皇の最側近として働いた。國體天皇になるために偽装薨去して、同じく偽装崩御した孝明天皇と共に堀川御所に入った本物の睦仁親王の偽装死を世間から隠すために、二人の毒殺説やら伊藤博文による便所の下からの槍での刺殺説を世に流したのは岩倉具視である。二つの偽情報を流す事により、どっちが本当なのかという議論に人心を誘導し、とにかく死んだのは確かと世間に思わせることで、偽装死だったという真実を見事に隠したのである。

●長州藩の桂小五郎(木戸孝允)は、実は、欧州から派遣された欧州大塔宮(欧州に渡った護良親王の直系血族)の子孫である。明治維新をある程度まで見届けたあと、偽装死して欧州に帰ったのでる。
維新後の西郷吉之助に対して、「西郷、いい加減にせんかい(いいかげんにして、早く欧州に渡ろうや)」と言ったという記録が残っているらしい。

●月照さんが西郷吉之助と一緒に舟から鹿児島湾に入水したというのも八百長。この時の西郷と月照の京から薩摩に向かった二人旅は、國體衆だった月照さん(こちらも欧州大塔宮の血筋だったかも)が、西郷吉之助に、國體ワンワールドの事情を伝授するのが目的の旅だったそうである。だから、勿論、月照さんも入水して死んではいない。