【由無し事】桐の紋
昨日、初めて大阪城を観光して来たが、記念にキーホルダーを買おうとしたところ、何とキーホルダーに描かれている家紋が五三の桐なのである。
私の記憶によれば、豊臣家の家紋は五七の桐の筈である。多分、キーホルダーの作成元が間違ったのだろうと思ったのだが、周りの他のお土産品に描かれている家紋も五三の桐なのである。どうも釈然としなかったが、とにかく作成元が間違ってしまったのだろうと思った。
そして、天守閣内の5階から順に降りて各階の展示品を見て回っていたら、何階かの展示品の中に家紋を描いたものが有り、それを見ると、ちゃんと五七の桐が描かれていた。やはり、5階のお土産品売り場で売っていた商品の作成元が家紋を間違えたのだと言うことが確認でき、スッキリした。
そして、次の観光スポットに向かうべく、天守閣を出て大阪城公園の出口に向かっていて、ふと背後の大阪城を振り返って見たところ、城壁に埋め込まれた家紋が目に入った。何と、五三の桐なのである。
もう、訳が分からなくなり、これは帰宅してからネットで調べるしかないだろうと思い、結論を保留した(笑)。
そして、今調べたところ、どちらの家紋も正しいらしい。つまり、豊臣秀吉は、途中で家紋を変えたのだそうである。
まあ、元々は尾張の百姓の出なので家紋など無かったと思われるが、武士になり羽柴姓を名乗っている時は、五三の桐を使い、豊臣姓になった時に後陽成天皇から賜った五七の桐に変えたと言うことらしい。
一件落着である。(笑)