追憶(3) 阿波踊り


追憶(3) 阿波踊り
2000年8月14日(月)
更新:2023年10月7日(土)
 
私は福岡出身(博多っ子)であるが、ウチの家系は両親とも四国の徳島(阿波)である。
もっとも、両親ともに結婚前から福岡に移り住んでいたし、私が生まれた時には、母方の親族はみな福岡在住であった。
 
私が子供の頃、毎年、母方の祖父の誕生日である1月5日に、祖父の家に一族郎党が集まって、大宴会を催したものである。
宴会の料理は、祖父の娘と嫁(私の伯母、叔母)が手分けして作る。
祖父には、子供が8人おり、うち一人(二男)は戦死したが、7人の子供たちの夫婦と子供(祖父の孫)が全員揃うので、本当に大宴会となる。
そして、宴が盛り上がったところで始まるのが、阿波踊りである。
大人達が男も女も皆、阿波踊りを踊るのである。中でも、祖父の阿波踊りは実に上手かった。手の振り方と言い、足運びといい、堂に入った踊り方であった。
 
実は祖父は、若い頃に、会社で機械に脚を挟まれて片足の膝から下を切断しており、義足を付けていたのだが、それでも阿波踊りは抜群に上手かった。
と言う事で、私の子供時代には、阿波踊りは、毎年1月5日の恒例行事だったのである。
 
2000年の8月14日、この日は、徳島にある同じ富士通グループ内の協力会社に出張したのであるが、午後の会議は殆ど流すだけの内容であり、協力会社側のメンバは、会議なんかやってる場合じゃないと言った雰囲気であった。
 
そして、会議を早々に切り上げると、部屋を移して早速、着替えタイムとなった。阿波踊りの衣装に着替えるのである。
勿論、協力会社側メンバだけではなく、出張して行った私も、行き掛かり上、阿波踊りに参加することになっているのであった。
 
出張していた私ともう一人の女性は、勿論、阿波踊りなど踊ったことがないのだが、着替えた後に、外に出て練習タイムが設けられているのである。
足の運び方、手の振り方を一応は教えてくれるのだが、そう簡単に踊れるものではない。
とにかく
(1)踊りの列の前後左右の間隔を乱さずに行・列が一直線になること
(2)両肘は肩の高さより下には降ろさないこと
(3)掛け声を合わせること
 
この3点だけ守れば、あとは何とでもなると言われ、ついに街中に繰り出すことになった。
実際に踊ってみて分かったことだが、この(2)肘を肩の高さより上に上げ続けると言うのが、如何に苦しかったことか。
 
まずは、1時間近く、商店街や夜の通りを踊って練り歩いたあと、いよいよ本会場での踊りとなる。
本会場と言うのは、テレビでも良く中継されるあの会場である。道の両側には観客席のスタンドが組まれていて、観客はお金を払って見に来るのである。私の様な素人の踊りをである。
 
勿論、スタンドに近い外側の列には地元の社員が配置され、我々出張者は内側の列になるので、幾らかは気が楽なのだが、それでも前後左右とも、人と人との間隔は2m近く開けて踊るので、隠れて見えなくなると言う訳では無い。
会場を踊る参加団体の順序は決まっていて、放送により団体名が案内されると、踊りながら会場に入っていく。
先頭には、プロ(?)の集団(阿波○○連という名前が付いている)が並び、続いて、私を含む協力会社メンバの集団が付いて行く。
 
この会場と言うのが、多分、500m以上はあると思われ、踊りながら通り抜けるのに、20分以上掛かった様に思う。とにかく重労働であった。
それでも、一つだけいい思いをしたことがあった。
当時、うちの会社のCMで使われていたキャラクターで、「来て見て触って・・・」のタッチおじさんと言うのが人気になっていたのだが、そのタッチおじさんの団扇(うちわ)を、各自10本ずつ腰に挿して踊ったのである。
そうすると、スタンドのあちこちから、「団扇を下さ〜い」と言う声が掛かるので、踊りの列から抜け出して、スタンドの観客に手渡しするのである。これが何ともいい気分であった。
 
こんな体験は、もうないと思われるが、今となっては楽しい想い出である。これが私の阿波踊りの想い出である。
 
 
阿波踊りで使った団扇