昔の祝電の整理


昔の祝電の整理
2020年1月13日(月) 成人の日 晴れ
 
新しい年になって2週間近く経った。このブログに記事を書くのは本日が今年初である。書き初めと言うのかしら(笑)。
 
年末年始は、恒例になっている福岡への帰省をしてきた。
ここ暫くは車での帰省を続けて来たのだが、60代半ばに差し掛かったためか、最近では周りからの車による帰省への反対の声が強くなってきており、さらに昨年は、高速道路での煽り運転事件が多発する様になって来たので、一年前の正月帰省を最後に、車での帰省は控えている。
せっかく、一ヶ月前に大枚をはたいてドライブレコーダーを装着したばかりなのに、結局は、無駄な投資になりそうである。もっとも、保険加入と同じで、「投資が無駄になる事(何も問題が発生しない事)」こそが最大の効果なのだが(笑)。
 
ここ数年は、旧盆と正月の帰省の際には、高校の同級生3人で一杯飲みながら話をするのが恒例になりつつあるが、昨夏の帰省ときには時間的余裕がなくて集まれなかったので、今回の帰省では一年ぶりの飲み会となった。
さらに、今回は私の小学校時代のクラスメイトで、他の二人ともゴルフ仲間の一人が宴に加わったので、場が更に盛り上がり、楽しいひと時であった。私以外の三人は高2のクラスメイトである。
 
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1 右が私。なんかジジィになりましたねぇ
 
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3 右が今回加わった小学校のクラスメイト
 
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実家に帰ると、いつもの事であるがオモチャ(パソコン)が無いので暇である。ついつい飲んでしまう(笑)。
 
母がもう高齢(92歳)で2階に殆ど上がらないらしいので、今回は2階の押入れを少し整理してあげようと思い、何日か掛けて整理した。戴き物で多分もう使う事が無いと思われる未開封の食器類は、押入れから出して一階の洋間に積んでおき、若い親族(甥、姪など)がお祖母ちゃん宅を訪れた時に好きなものを持って帰れる様にし、賞味期限の切れた味付け海苔やら蟹缶は全部処分した。何しろ、平成の一桁代(20世紀)のものがゴロゴロ押入れに眠っていたのである(笑)。
 
その中に、父が1990年に綬章した黄綬褒章の大量の祝電類が袋に詰められて仕舞ってあったので、さすがにこのまま置いたままにしておいても仕方がないと思い、母の了解を取った上で処分する事にした。
ただし、せっかく戴いた祝電類を単に廃棄してしまうのは流石に心が痛むので、一旦、自宅(三島)に持ち帰り、送って戴いた方々の氏名と祝電類の祝辞文面だけでも記録に残しておく事にした。365連休の身の上なので、時間だけはたっぷりある(笑)。
 
帰省から戻り、並行して宅急便で自宅に送っていた祝電類の整理に取り掛かった。
それを眺めているうちに、電報類は味気ない機械文字なのでまだ割り切れるものの、毛筆など手書きで書かれたものは捨ててしまうのも憚られたため、数も多くない事だし暫く保管しておく事にした。
 
文面をExcelシートに転記していて気づくのは、どの祝電もだいたい同じ様なフレーズが並んでいるという事である。典型的なフレーズは以下のとおり。
 
「栄えある黄綬褒章のご受章を 心からお祝い申しあげます。」
 
褒章(黄綬、藍綬、紫綬)の場合は、「受賞」ではなく「受章」と書く事は以前から知っていたが、「栄えある」を「はえある」と読むことを、恥ずかしながら今まで知らなかった私である(笑)。
 
「今後益々のご健勝とご活躍をお祈り申しあげます。」
 
これも殆どの祝電に出てくるフレーズである。
 
驚いたのは、国会議員や銀行の頭取、大会社の代表取締役社長といった方々からの祝電類が予想以上に多かったという点である。福岡県知事、福岡市長からの祝電も届いていた。
 
まあ、しがない一中小企業の社長だった父が、それほどの方々と面識がある訳がないので、恐らく、褒章受章が政府から発表されると、関係箇所にお触れが回る情報伝達ネットワークが出来上がっていて、そのルートを通じて各所から祝電が全国の受章者に発信されるという、日本での毎年恒例の行事になっている事なのだろうと思う。
 
祝電を一覧にする上で、一番の問題は、氏名が仮名で書かれているという事である。大きな会社や組織であれば、会社名・組織名と仮名での発信者名を入力してネット検索すればヒットして、氏名の漢字が分かるのだが、それほど大きくない組織だとネット検索してもヒットせず、やむなく仮名のまま一覧に記載する事になる。
その上、何しろ1990年(約20年前)の事なので、組織の代表者も代替わりしていて、なかなかヒットしないのである。それでもヒットするパターンは、「訃報」(検索対象の方が亡くなっていたケース)の場合だったりする。
 
国会議員について言うと、受章祝賀会にも出席してご挨拶して戴いた衆議院議員の山崎拓さんと太田誠一さん(いずれも福岡の選挙区)については、私の記憶では、彼らが福岡市議会だったか福岡県議会だったかの議員の頃から、毎年年賀状が届いていたのを憶えている。多分、父が後援会に入っていたのだと思う。
山崎拓さんについては、父の初盆だったから2005年の8月だったと思うが、旧盆三が日(8/13〜8/15)のとある日の昼間に呼び鈴がなって玄関の引き戸を開けたところ、目の前に山崎拓さんがお一人で立っていたのを憶えている。「ご焼香させて下さい」と言われて、わざわざ、家(私の実家)まで足を運んで来てくれたのである。仏間に入って焼香だけされてササッと家を後にされたのだが、思い掛けない訪問者に母も私も驚いたのを憶えている。小泉政権での副総理とも言われた方なのに、とても謙虚な方の様に感じたものである。
 
それから、選挙区は違ったが同じく福岡県を地盤にしている麻生太郎衆議院議員(後の総理大臣)からも、毛筆の祝辞が届いていたようである。ほかには、加藤六月衆議院議員(当時の自民党政調会長)とか、衛藤征士郎衆議院議員とか、・・・・。 
 
以下の新聞記事によると、福岡県からの褒章受章者は、この年は22人と言うから、大変な名誉であったのだろうと思う。記事に書いてあるとおり、30歳を過ぎてから飛び込んだ運送業界で黄綬褒章まで受章すると言うのは、まあ、大変な事だったのだと思う。当時は、既に就職して福岡を離れていた私には、そんな大変な快挙だったとは全く知らなかったのだが。
 
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黄綬褒章の記事、祝賀会映像は以下。
 
 【イベント】父の黄綬褒章を祝う会