【ウバイド】ウバイド人とは?

【ウバイド】ウバイド人とは?

落合莞爾さんが説明のしやすさのために名付けた「ウバイド人」について、非常に分かりやすく完璧に説明した記事を見つけた。以下。

 【 用語解説 】 ウバイド人とは

本ブログでいつでも参照できる様に、以下に全文引用する。文字修飾(強調、色付け)は私が施したもの。

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【 用語解説 】 ウバイド人とは

NEW!2018-08-28 13:23:38

テーマ:落合史観用語解説
ウバイド人とは、紀元前5500年頃メソポタミアに登場した旧人類とされる人々で、「ウバイド文化」を担った人々。

学術的に「ウバイド文化」は存在するが、当時生きていた人々に対しての呼称がないため、落合莞爾氏が著作の中で便宜的に「ウバイド人」と使用。
ウバイド人は、ビュルム氷期を寒冷地適応することなく高山地帯で過ごし、ビュルム氷期が終わった紀元前8000年頃から、しばらく時を経てメソポタミアに登場
ウバイド人のような旧人類は、その他にもビュルム氷期中でも比較的温暖であった太平洋沿岸の地域にも存在し、縄文文化を担った人々(縄文人)もその一つとされる。

ウバイド人はメソポタミアに登場した際から、農耕、漁労、牧畜の三つに社会的分業を行っており、各生業で生ずる余剰生産物交換における媒介として「黄金」が機能することを予め知っており、円滑な社会的分業から文明度を高める術を持っていた。
また、黄金の利用価値を理解していたため、ウバイド人たちは世界各地の河川などに散在している自然金の収集を図った。
収集の方法は、ウバイド人が各地に移住し、高度な灌漑技術で河川を灌漑する際に密かに収集していた。
灌漑によって飛躍的に食料生産規模を高めたエリアは文明が発達していった。
メソポタミアには紀元前5500年から3800年頃まで存在し、以降はシュメール人にメソポタミアエリアの文明を引き継ぎ、東西への移住を推進した。
に向かった人々がインダス川やウラル海に注ぎ込む内陸のアムダリア川に到達した。
インダス川からガンジス川に内陸で移った後かその前か、一団が船団で東南アジアから日本に到達した。
この海から渡ってきた一団の中に、日本皇統となったウバイド人たちもおり、海から日本に到達した人々を、落合莞爾氏は「タチバナ」と呼称している。
到達した先は和歌山県の熊野エリアで、さらにここから一部が博多(那の津)に展開した。
なお、海人ウバイドのタチバナは、その後の姓では、和田(楠木)、橘、津田、井口、菊地(土編)、橋本、井上などを名乗っているが、さらに様々な名字が派生しているようであるが、井口や井上同様に灌漑技術に優れていたので「井」が入ることも多いらしい。
また、ウバイド人同士の時は、自分たちのことを「イシヤ」と呼ぶようで、現在でもウバイド人の密度が濃い和歌山や大阪南部では「イシヤ」を使う人々が存在。

ところで、ウバイド人ではあるものの「タチバナ」とは別で呼称されるのが「サエキ」。
佐伯と紛らわしいので「サエキ」と表記されるが、高山地帯で生きて来たからか修験のようでもあるので、「修験サエキ」とも呼称される。
サエキは主に大陸で活動した人々を指すことが多いようで、アムダリア川やシナの黄河長江を灌漑していた人々は「サエキ」と呼ばれる。
シナの伝説的な王と言われる「尭」、「舜」、「禹」もウバイド人で、特に「禹」が高い灌漑能力を発揮した。
大陸で活動する中で、黄金を管理や移動を担う氏族はシナでは「呂」氏となり、黄金を使って王を生み出すことからキングメーカーとなり、歴史上では太公望呂姜、呂不韋、呂公などとして現れる。
また日本ではこの「呂」氏は「秦」氏と名乗っている。
秦氏は呂氏系秦氏の他にも、彼らが率いて来たその他の民族が秦人と呼ばれるので、必ずしも秦人=呂氏ではない。
なお、サエキは、日本ではさらに呂氏以外も存在し、大伴氏、佐伯氏、阿刀氏、緒方(初期)氏などである。

ウバイド人は、世界に拡散する中で、スキタイ人の上層部として入っていたり、ケルト人フェニキア人と呼称されたりしている。
世界史上謎の民族とされている人々がウバイド人でなるのかもしれない。

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