國體ワンワールドとは


國體ワンワールドとは
2017年11月16日(木) 晴れ 初稿
2019年5月22日(水) 更新
 
國體ワンワールドについて、勉強した内容を纏めて、今後、少しずつこのブログにアップしておく事にする。
なお、この記事は、今後も必要に応じて逐次更新する。
 
【國體ワンワールドとは】
(参考文献:『落合・吉薗秘史[2]大日本帝国を陰から支えた「天与のクスリ」國體アヘンの正体」』著者:落合莞爾)
 
國體ワンワールドとは、経営コンサルタントで歴史評論家である落合莞爾(おちあいかんじ)さんが命名した造語である。
ヴュルム氷期(氷河期)から生存していた新石器時代の旧人類から繋がる文化(文明)を現在に至るまで引き継ぎ、世界平和、世界の調和を現代社会の裏側から護持し続けようとしている実在の秘密勢力の事である。
 
落合莞爾先生が、この真実の歴史を探求し始めたキッカケは、121代・孝明天皇直系の京都皇統からの白羽の矢が立って探求を託されたからだそうであり、皇統からもたらされる歴史の真相のヒントを基に、この国際秘密勢力の謎解きを始められたそうである。
 
ヴュルム氷期:7万年前に始まって1万年前に終了した一番新しい氷期(氷河期)
 
(1)ウバイド文化(文明)の誕生

  〜1万年前 ヴュルム氷期の終わり(新石器時代・縄文時代)
旧人類は、太陽熱等の関係で氷結していなかった高山地帯に棲息。氷結していないので動き回れた。高山環境での厳しい気候を凌いだ結果、天体測量をベースとした測量術、地質学的知識を修得。鉱物や植物の採取などにより、鉱物・植物の知識を蓄積。動植物の医学的効能に関する知識を蓄積。
高山と同じく、太平洋岸も氷結しなかったため、大陸より大型動物(ナウマン象など)が太平洋岸に移動。移動の最終地点は現在の日本列島である。ここに棲息した人類は大型動物を捕獲して食べていた。ここに狩りを生業とする人類(縄文人)が誕生した(4万年前)。
  1万年前(紀元前8000年)(縄文時代)
ヴュルム氷期が終わり、高山地帯からメソポタミアのウバイドの丘に下りて来た旧人類がいた。 ⇒ ウバイド人(落合莞爾さんが命名)
  7500年前(紀元前5500年)(縄文時代)
ウバイド文化(文明)の誕生・・・ウバイド人は、チグリス川、ユーフラテス川を堰き止めて砂金を採取。これを信用財として使う事で分業の文化を生み出した。即ち、金を信用財とした物の交換、それによる分業という文化は、メソポタミア文明の始めから既に存在していた。
メソポタミア文明と言うと、主流となっている世界の歴史では、楔(くさび)形文字を発明したシュメール人の文明を指すが、真実は違う。ウバイド人による金(ゴールド)を使った信用と分業の文明であり、この文明を後から入って来たシュメール人にウバイド人が引き継いだと言うのが真実。ただし、信用・分業と言ったものは形を残す物質文明ではなく精神文明であるため、世界の歴史では楔形文字という形を残したシュメール人の文明の方をメソポタミア文明と呼び、ウバイド文明の方は単にウバイド文化と呼んでいる。

(2)ウバイド人の東西への転進

  5800年前(紀元前3800年)(縄文時代)
ウバイド文化が急激に衰退。気候変動(乾燥気候)で人間生活が不可能になったとされているが、本当の所は不明。ウバイド人は、東西に分かれ、東西ともに、海洋漁労民(海路)と騎馬遊牧民(陸路)の2ルートで東西に移動
- 東/海路:インダス川に到達。この地で砂金採取を始め、インダス文明を興した。
- 東/陸路:ユーラシア大陸の中にも、カスピ海、アラル海と言った「海」があり、そこを伝って河口で干拓、砂金採り、農地開拓をし、徐々にユーラシア大陸内を東に進む。
- 西/海路:黒海、小アジア(トルコ)、エーゲ海を抜けてギリシャ、イベリア半島へ。
- 西/陸路:ウクライナを通ってヨーロッパへ。

(3)ウバイド人が最終的に到達した東西の極

  ルート 最終到達点(極)
東/海路 インダス⇒インド洋⇒マラッカ海峡⇒台湾海峡⇒熊野(紀伊半島)と那の津(現福岡)
東/陸路 アラル海⇒天山南路北道⇒黄河の中下流域(中原と呼ばれる平原地域)と豆満江河口の羅津(らじん)(現北朝鮮)
西/海路 黒海⇒小アジア⇒エーゲ海⇒ブルターニュ(アルモリカ)半島⇒スコットランド(現英国)
西/陸路 ウクライナ⇒アルモリカ


この続き(西極、東極での展開)は別に分けて纏める。