富士山 山開き

富士山 山開き

2011年07月11日(月) 晴

 今日も暑い一日であった。
 会社の帰り道、三島駅から車で自宅に向かう途中、正面に富士山のシルエットがくっきりと見えた。そして、そのシルエットの中には、点々と灯りのラインが出来ていた。富士山の山開きは毎年7月1日であるが、富士登山が本格的に始まるのは多分、梅雨が明けてからなのであろう。今日あたりは、梅雨明け3日目とあって、灯りのラインが出来るほどの人出なのかもしれない。

 思い起こせば18年前の8月13日金曜日、初めて富士登山に挑戦した日である。夕方、車で富士宮口の五合目に向かい、少し身体を空気の薄い高山に慣らすために五合目で1時間ほど過ごした後、いよいよ登山を開始。六合目までは順調に進んだものの段々と苦しくなって来て、休む間隔が短くなり、そのうち気持が悪くなって吐き気をもよおし始めた。いわゆる高山病の症状だと思われる。持参した酸素を吸うも、気分は良くならず、それでも騙し騙し少しずつ進む。そのうちに雨が降り始め、深夜の2時か3時頃だったと思うが何とか8合目まで登ってきた時にはどしゃぶりの嵐となってしまった。しばらくは8合目で休んで様子を見ていたのだが、登山を断念して上から降りて来る人の数が増えて来たのを見て、断腸の思いで初挑戦の富士登頂を断念し下山したのでる。

 そして翌年の8月4日木曜日、この日は何時もの様に会社で仕事をしていたのだが、急に思い立って、午後を半休にして自宅に帰り、準備をしてから富士宮口五合目へ。リベンジである。今回は、前年の経験から、登りでは食事を取ることはせず、代わりにチョコレートで栄養補給をした。それでも、身体の疲れは前年と変わらず、段々と休む間隔が短くなって、しまいには20歩歩いては休み、また20歩歩いては休むと言う超スローペースになり、結局、深夜に新7合目だったか元祖7合目だったか忘れたが山荘の前まで辿り着いたところで、体力の限界を感じ再び登頂を断念。さりとて直ぐに下山する気力も無いので、予約も何もして無かったが取りあえず山荘の戸を開けて中に入った。山荘の人が出て来たので泊まれないか相談したところ、食事は無いが寝るだけならと言って泊めて貰えることになったのである。幾らだったかは忘れたが、1万円近い結構な料金だった様な気がする。寝床は、ズラリと横並びに雑魚寝する状態で寝返りも楽には出来ないくらいの狭いスペースであったが、とにかく疲れていたのですぐに眠りに着くことが出来た。
 そして翌朝、回りのザワ付きにより目が覚め、外に出てみると、まさに、山の斜面から朝日が昇るところであり、何とも美しいご来光を目にすることができた。朝の空気は美味しいし、ご来光を見る事が出来たお陰で気分が良くなり、どうせなら登れるところまで登ってみようという気になってきた。体力は相変わらずであり、登ると言うよりは一歩ずつ足を前に出すことを繰り返すという状態ではあったが、やがて前年到達した8合目まで辿り着き、さらに進んで行くうちに9合目までやって来た。ここまで来ると、もう頂上が目の前に見えて来ており、疲れも段々と感じなくなっていた。勿論、ペースが上がると言う訳には行かないが、一歩一歩の繰り返しを続けるうちにリズムに乗ってきて、遂に頂上の鳥居を潜ってしまった。
 登頂を成功してみると、今度はせっかくここまで来たのにお鉢巡り(富士山頂の火口を一周すること)をせずに下山するのは勿体ないと言う気持になり、左回りのお鉢巡りを開始。まずは、一段高くなった小山の上に設置されていたレーダーのところまで登る。ちなみに、このレーダーは、現在は山頂から取り外され、富士吉田の道の駅の隣に設置されている。レーダーをあとにお鉢巡りを進めるうちに雲行きが怪しくなり、雷鳴が轟き始めた。地上ならいざ知らず、富士山頂では、遮るものが何もないので、リュックの金具に落雷してもおかしくない状況であったが、ここで落雷を受ける様ならそれも自分の運命と開き直りお鉢巡りを続ける。そうこうするうちに雷鳴も収まり、何とか火口を一周して浅間大社奥宮まで戻って来た。下山を開始したが、登って来た時間に比べ下山する時間の短いこと、走り降りる様に一気に五合目まで下りて来たのを覚えている。

 登った直後は、もうこんな苦しい経験は二度としたくないと思っていたのだがが、下りて来て見ると、また、何年後かに登ってもいいかという気持になるのだから富士登山とは本当に不思議なものである。


ご来光


富士登山道にある山荘。新七合目だったか元祖七合目だったかは記憶が定かでない


富士山頂にある浅間大社奥宮


富士山頂レーダ。現在は取り外されて、富士吉田の道の駅に隣にある。


富士山頂の火口


お鉢巡りも終わりに近づいたところ。空中に富士山の影が出来ている