城南高校 3年に進級
時期:1972年4月
更新:2022年7月15日(金)
高校3年に進級。
3年生は、以下の様な進路別のクラス分けであった。ただし、進路別の大学にしか受験出来ない訳ではない。
進路別クラス | クラス内容 |
---|---|
私立文系クラス | 1組~2組(男女クラス) |
国立文系クラス | 3組~5組(男女クラス) |
国立理系クラス | 6組(男女クラス) |
私立理系クラス | 7組~8組(男子クラス) |
私は国立理系志望だったので6組である。担任は田中清次先生(数学)。
クラス | 種別*種別2 | 期間 | 担任 |
---|---|---|---|
3年6組 | 男女クラス | 1972年4月〜1973年3月 | 田中清次先生 |
[2022年7月15日追記]
いよいよ、大学受験の年である。
3年になると、大学の志望分野(文化系、理科系)をキーにしてクラス編成が行われた。大学入試における受験科目が文化系と理科系で異なるため、一応、進学高である城南高校としては、3年の授業カリキュラムも受験科目を考慮したものにする必要があったからである。
当時は未だ、センター試験(全国共通の一斉試験)などという制度はなく、受験申請する時点で、対象の大学を決める必要があり、その結果、受験する大学の受験科目に合わせて受験勉強の力点を考えなければならなかった。国立大学は一期校、二期校に分かれていたが、大学に依って確か受験科目が違っていた。また、各年度によっても理科科目(物理、化学、生物、地学)、社会科目(日本史、世界史、政治経済、地理、倫理社会)の必修科目が変わっていた。私の記憶が正しければ、以下のとおりであったと思う。
私は、国立理系の志望だったので、理科は2科目だったが、指定科目については、物理と化学のどちらかであるものの、発表を待っていては受験勉強が間に合わないため、どちらが指定されても良い様に、物理と化学の両方を理科の受験科目にした。
2年の時のクラス編成が、「数学」の底上げが目的だった事もあって、1年の時の数学の成績が芳しくなかった生徒を3組~8組に編入させ、数学の教え方の上手な(周りからの評判が良い?)先生を3組~8組の担当に着ける様にしていた関係で、逆の観点から見ると、1組と2組には、1年の時の数学の成績が優秀な生徒が集まっていた。そして、数学の成績が優秀な生徒は、他の科目も優秀である傾向が強いので、必然的に、1組、2組には総合的に成績優秀な生徒が集まっていた。
3年になると、大学受験科目を考慮したクラス編成にしたが、理科系/文化系という観点では上の表のとおりの相違があるし、また、科目数という観点では国立/私立で相違があった。国立は5科目(国語、数学、理科、社会、英語)、私立は3科目だったと思う(科目種は忘れた)。
結果的に、国立コース志望の人は文系であれ理系であれ、5科目の試験があるため、2年の時に全体の成績が良かった1組、2組の方々が国立文系、国立理系の志望者に多いという傾向があり、従って、2年7組の出身である私が国立理系クラスに入った時には、周りは、2年までの毎回の全体テスト(中間テスト、期末テスト、実力テスト)で上位を占めていた方々ばかりというコワイ状態であった(笑)。
それでも、このクラスのメンバは、勉強ばかりの「ガリ勉」という感じでもなく、昼休みなどには、汗びっしょりになって体育館でバスケットボールをして遊ぶという感じの人が多く、夏のクラス対抗の球技大会でも、私が参加したバレーボールのチームは、結構な成績のところ(準決勝?)まで進んだと思う。
夏休みに入ると、城南高校では、全学年とも午前中の課外授業(7月末まで)が始まるが、更に3年生は、8月も旧盆近辺の10日程度の休日を除き、午前中の課外授業が続くのである。
その10日程度の短い夏休みの とある一日、クラスの男子生徒有志で志賀島(福岡市の中心地と博多湾を挟んだ対岸にある島(砂州で陸続き)に海水浴に行って、一日「受験勉強」を忘れて大いに遊んだものである。
夏休み、課外授業と言えば、私には もう一つの思い出がある。「恋」に関する思い出である(笑)。
実は、この夏休みの課外授業の期間中に私は「恋に落ちた」のである。「一目惚れ」の恋である。同じクラスの女性にである。勿論、その女性とは3年の新学期から同じクラスであった筈なのだが、夏休み中の課外授業期間中に「一目惚れ」をしてしまったのである。
現在はどうか知らないが、当時は教室にクーラーなどの冷房設備は無かったので、授業は蒸し風呂の様な環境で行われていた。そして、ある日の1時限目の課外授業が終わった後の休み時間に、中庭側の窓から涼しい心地良い風が入って来たのである。そこで、私は反射的に窓の方に顔を向けたのだが、その瞬間に私の視線を釘付けにしたのが、風に髪を靡(なび)かせている女生徒(Aさんとしておく)の横顔だったのである。そのAさんに一目惚れしてしまったのである。
大学受験が終わり、お互いに大学生となった1年の夏、平和台球場でのプロ野球オールスター戦のチケットが手に入ったので、思い切って広島カープの山本浩二さんが好きだったAさんを誘い、初デートをする事が出来た。その後の一週間は、私にとっては夢のような時間だったのだが・・・、まあ、色々ありますわナァ(笑)
因みに、Aさんは、現在、千葉県にお住まいであり、関東地区の同窓会では何度もお会いしている。最近はコロナ等で同窓会もないので暫く会っていないが、年賀状のヤリトリは続いている。
卒業式は3月1日、国立大学受験は3月3日~5日の3日間だった。試験会場は九州大学(箱崎)である。最終日は午前中までであり、午後は、天神に寄って、小串訓常君と二人でボウリングをしたのを憶えている。偶然、同じクラスの女子(山口久美さんと鮫島和子さん)も国立大学受験を終えてボウリングに来ていた。
いよいよ、大学受験の年である。
3年になると、大学の志望分野(文化系、理科系)をキーにしてクラス編成が行われた。大学入試における受験科目が文化系と理科系で異なるため、一応、進学高である城南高校としては、3年の授業カリキュラムも受験科目を考慮したものにする必要があったからである。
当時は未だ、センター試験(全国共通の一斉試験)などという制度はなく、受験申請する時点で、対象の大学を決める必要があり、その結果、受験する大学の受験科目に合わせて受験勉強の力点を考えなければならなかった。国立大学は一期校、二期校に分かれていたが、大学に依って確か受験科目が違っていた。また、各年度によっても理科科目(物理、化学、生物、地学)、社会科目(日本史、世界史、政治経済、地理、倫理社会)の必修科目が変わっていた。私の記憶が正しければ、以下のとおりであったと思う。
分類 | 国語 | 数学 | 理科 | 社会 | 英語 |
---|---|---|---|---|---|
国立文系 | 必修 | 必修(数Ⅱまで) | 必修(1科目選択) | 必修(1科目指定+1科目選択可、 大学に依っては2科目とも指定) |
必修 |
国立理系 | 必修 | 必修(数Ⅲまで) | 必修(1科目指定+1科目選択可、 大学に依っては2科目とも指定) |
必修(1科目選択) | 必修 |
私は、国立理系の志望だったので、理科は2科目だったが、指定科目については、物理と化学のどちらかであるものの、発表を待っていては受験勉強が間に合わないため、どちらが指定されても良い様に、物理と化学の両方を理科の受験科目にした。
2年の時のクラス編成が、「数学」の底上げが目的だった事もあって、1年の時の数学の成績が芳しくなかった生徒を3組~8組に編入させ、数学の教え方の上手な(周りからの評判が良い?)先生を3組~8組の担当に着ける様にしていた関係で、逆の観点から見ると、1組と2組には、1年の時の数学の成績が優秀な生徒が集まっていた。そして、数学の成績が優秀な生徒は、他の科目も優秀である傾向が強いので、必然的に、1組、2組には総合的に成績優秀な生徒が集まっていた。
3年になると、大学受験科目を考慮したクラス編成にしたが、理科系/文化系という観点では上の表のとおりの相違があるし、また、科目数という観点では国立/私立で相違があった。国立は5科目(国語、数学、理科、社会、英語)、私立は3科目だったと思う(科目種は忘れた)。
結果的に、国立コース志望の人は文系であれ理系であれ、5科目の試験があるため、2年の時に全体の成績が良かった1組、2組の方々が国立文系、国立理系の志望者に多いという傾向があり、従って、2年7組の出身である私が国立理系クラスに入った時には、周りは、2年までの毎回の全体テスト(中間テスト、期末テスト、実力テスト)で上位を占めていた方々ばかりというコワイ状態であった(笑)。
それでも、このクラスのメンバは、勉強ばかりの「ガリ勉」という感じでもなく、昼休みなどには、汗びっしょりになって体育館でバスケットボールをして遊ぶという感じの人が多く、夏のクラス対抗の球技大会でも、私が参加したバレーボールのチームは、結構な成績のところ(準決勝?)まで進んだと思う。
夏休みに入ると、城南高校では、全学年とも午前中の課外授業(7月末まで)が始まるが、更に3年生は、8月も旧盆近辺の10日程度の休日を除き、午前中の課外授業が続くのである。
その10日程度の短い夏休みの とある一日、クラスの男子生徒有志で志賀島(福岡市の中心地と博多湾を挟んだ対岸にある島(砂州で陸続き)に海水浴に行って、一日「受験勉強」を忘れて大いに遊んだものである。
夏休み、課外授業と言えば、私には もう一つの思い出がある。「恋」に関する思い出である(笑)。
実は、この夏休みの課外授業の期間中に私は「恋に落ちた」のである。「一目惚れ」の恋である。同じクラスの女性にである。勿論、その女性とは3年の新学期から同じクラスであった筈なのだが、夏休み中の課外授業期間中に「一目惚れ」をしてしまったのである。
現在はどうか知らないが、当時は教室にクーラーなどの冷房設備は無かったので、授業は蒸し風呂の様な環境で行われていた。そして、ある日の1時限目の課外授業が終わった後の休み時間に、中庭側の窓から涼しい心地良い風が入って来たのである。そこで、私は反射的に窓の方に顔を向けたのだが、その瞬間に私の視線を釘付けにしたのが、風に髪を靡(なび)かせている女生徒(Aさんとしておく)の横顔だったのである。そのAさんに一目惚れしてしまったのである。
大学受験が終わり、お互いに大学生となった1年の夏、平和台球場でのプロ野球オールスター戦のチケットが手に入ったので、思い切って広島カープの山本浩二さんが好きだったAさんを誘い、初デートをする事が出来た。その後の一週間は、私にとっては夢のような時間だったのだが・・・、まあ、色々ありますわナァ(笑)
因みに、Aさんは、現在、千葉県にお住まいであり、関東地区の同窓会では何度もお会いしている。最近はコロナ等で同窓会もないので暫く会っていないが、年賀状のヤリトリは続いている。
卒業式は3月1日、国立大学受験は3月3日~5日の3日間だった。試験会場は九州大学(箱崎)である。最終日は午前中までであり、午後は、天神に寄って、小串訓常君と二人でボウリングをしたのを憶えている。偶然、同じクラスの女子(山口久美さんと鮫島和子さん)も国立大学受験を終えてボウリングに来ていた。
後ろから | 名前 |
---|---|
1列目 | 義原洋、出口喜也、宗信博、森輝幸、大渕正昭、藤原清隆、日永達也、原口勝、西原潔、貫真二、志水貴、中沢雅彦、禰占哲郎 |
2列目 | 小嶋博道、川上清隆、黒川陽一、池田澄男、津田英児、細川敬三、私、灰塚凡樹、藤田祐二、立石憲治、志土地由記 |
3列目 | 吉田裕子、吉浦秀子、山田佐智子、逸見ミチル、高野玲子、稲垣涼子、永松由教、池上政隆、山下洋、金山和隆、大場義久 |
4列目 | 山口久美、藤井由美子、平田留美子、豊島寿子、津野るみ子、田中清次先生、菅原加余恵、鮫島和子、近藤俊子、草場美鈴、木本雅子、内野博子 |