【時事】板垣英憲情報:安倍政権の北朝鮮外交実情

【時事】板垣英憲情報:安倍政権の北朝鮮外交実情
2019年01月12日(土) くもり

日朝外交の実情について

[予備知識]

・北朝鮮は、戦後、本土が米国の支配下になってしまう事を考えた日本の上層部の意志により、第二の日本として建国された国家である。
 因みに、南朝鮮(大韓民国)は、米国が日本を牽制するために李承晩を初代大統領に立てて建国した国家である。つまり、「反日」で日本を牽制するのが韓国という国家の宿命なのである。

※私の推測であるが、「上層部」とは、当時の世界國體天皇であった堀川辰吉郎(121代 孝明天皇の実孫、本物の睦仁親王の実子)ではないかと思う。堀川辰吉郎は京都御所内で生まれ、子供時代に福岡に出されて育ったが、京都皇統から堀川辰吉郎を預かったのは玄洋社(元黒田藩士の組織)の杉山茂丸であり、玄洋社は、後に國體天皇となった堀川辰吉郎の配下で動く勢力となった。そして、実際に北朝鮮建国活動の中心となったのが、玄洋社の人間で陸軍中野学校の出身でもある畑中理(はたなかおさむ)である。なお、畑中家は、國體参謀である真田家の家臣であり、堀川辰吉郎~玄洋社~畑中理という國體繋がりの関係が色濃く見える。

・畑中理は、北朝鮮名を金策(キム・チャク)と言い、北朝鮮政府の副総理として動いた。彼の功績を讃えて、金策市という都市名にもなっている。

・畑中理(金策)は、金日生(キム・イルソン)を共産主義のお勉強のためにソ連に派遣。その間に、金日生の妻との間に男子を儲けた。それが、金正日(キム・ジョンイル)である。

※、元々、金日生は、北朝鮮の表の顔とするために日本側の意志で立てた傀儡ではなかったのかという気がしなくもない。

横田早紀江さんは、表には出ていないが、朝鮮李王朝の最後の皇太子であった李垠(り・ぎん)さんと皇室・梨本宮方子(まさこ)さまの間に生まれた娘である。即ち、朝鮮李王朝と日本皇室の両方の血統を引いている。
 従って、横田早紀江さんの娘である横田めぐみさんも、朝鮮李王朝と日本皇室の両方の血を引いている。

・拉致されたとされている横田めぐみさんは、実は、計画的な工作で北朝鮮に連れて行かれたのであり、北朝鮮で金正日さんの正室となった。

※これは、李王朝と日本皇室の血統を引く新しい朝鮮王朝・金王朝を創るための、最初から計画された一連の工作であったと私は思う。

・横田めぐみさんと金正日さんの間に生まれた子供は、金正恩(キム・ジョンウン)、金与正(キム・ヨジョン)、金恩慶(キム・ウンギョン)の3人である。一番下の金恩慶さんは、横田夫妻がモンゴルで対面した孫(横田めぐみさんの娘)・ヘギョンちゃんとして日本では紹介されている。

[板垣英憲情報]

「予備知識」が長くなったが、これを知らないと、板垣英憲さんからの情報が理解できないと思うので、敢えて長々と書いてみた。

・日朝問題の解決の最重要課題は「拉致問題の解決」であるが、安倍晋三総理は、横田めぐみさんを含めて全拉致被害者を返さない限り解決にはならないとの一点張りであり一歩も譲らないと言ってるので、絶対に解決しない。
何故なら、北朝鮮の国母である横田めぐみさんを返せる訳がないからである。

※昨年、国母である横田めぐみさんより、トランプ大統領に親書が送られ、それを読んだトランプ大統領は日朝関係の全ての事情を知った。だから、あの親書以来、トランプ大統領の北朝鮮への態度が一変し、米朝首脳会談も実現した。と共に、そのことを黙っていた安倍総理に不信感を持った。

・北朝鮮には、畑中理の子孫がいる。龍郭(りゅう・かく)と呼ばれている人であるが、「ミスターX」とも呼ばれる日朝外交での北朝鮮側キーマンとしても知られている。

・小泉純一郎総理が訪朝して、一部の拉致被害者5人を連れて帰国出来たのも、当時の外務省アジア大洋州局長だった田中均氏とミスターX氏の間の下交渉が実ったものだったらしい。

・その時の交渉においては、「横田めぐみさんは死んだことにする」という北朝鮮側からの条件を小泉政権側が飲んだために、拉致被害者の帰国が実現したらしい。

・北朝鮮側にとって、日本側で一番信頼できるのは田中均さんであり、田中均氏以外とは話をしないと明言しているらしい。

・安倍内閣の飯島勲参与(小泉元総理の総理秘書官)は、安倍首相の腰巾着の様にベッタリであるが、飯島勲氏と田中均氏の関係は悪いらしく、田中均氏は安倍政権に協力する気は一切ないらしい。

・つまり、安倍総理が実質不可能な「横田めぐみさん(=北朝鮮国母)の帰国」を譲らず、かつ、北朝鮮が唯一信頼を置いている田中均氏の協力が得られないため、安倍政権では絶対に日朝関係の修復は出来ないと言うこと、言い換えれば、日朝関係を回復するには政権交代が必須であると言う事である。

長男の引っ越し & 初孫

 
長男の引っ越し & 初孫
2019年1月11日(金) 晴れ
 
本日は、長女の31歳の誕生日である。長女の出産には立ち会ったのだが、早いものでもう31年が経過したらしい。どおりで私も老ける筈である(笑)。
 
新年、福岡から戻って来てからも色々とやることがあり、なかなか落ち着いてパソコンの前に座るという何時ものペースに戻れない。
 
一昨日は、東京・品川区に住む長男が中野区に引っ越すと言うので、夫婦で手伝いに行ってきた。トラックに積みにくい小物とか、人間(長男)を運ぶのが主な役目である(笑)。そして、1ヶ月前に生まれた初孫の顔を見に行くと言うのも、もう一つの目的である。
 
長男は、3年半ほど前から、会社に歩いて行けるエリアということで大崎の高層マンションに引っ越して住んでいたのだが、このほど、中野区の南台に引っ越す事になったのである。移転先は、長男のお嫁さんの実家から歩いて10分未満のところにあるマンションである。
 
引っ越し当日は平日であり、朝の時間帯は東名高速道と接続している首都高速(3号渋谷線)が相当渋滞する事が予想されたため、未明のうちに移動を済ませておこうと思い、4時頃に三島の自宅を車で出発。そのために、留守番して貰う愛犬マメちゃんの散歩は、深夜の3時に懐中電灯を持参して済ませた。
 
平日未明の高速道路は、東名も首都高も大型トラック一色であり、乗用車は殆ど見かけない。それでも、停車する程の渋滞はなく、比較的スムーズに走れた。
ネットで調べて、東名(裾野〜東京IC)⇒首都高3号(〜谷町JCT)⇒首都高都心環状線(〜一ノ橋JCT)⇒首都高2号(〜戸越)⇒一般道(〜大崎)と言うルートを想定していたのだが、数年前に開通した首都高中央環状線の方が早かったらしく、ナビの案内に従って大橋JCTから中央環状線に分岐し、五反田で一般道に出た。
 
現地(パークシティ大崎ザ・タワー)に着いたのは未明の6時ちょっと前。幸い、ザ・タワーの駐車場が空いていたので車を入れ、息子を電話で起こした。
因みに、この高層マンションには、芸能人も何人か居住しているらしく、TVドラマにも良く出演している60代後半のダンディーな俳優●●氏が若い女性(愛人?)と腕を組んで歩いている姿を見たことがあると息子が言っていた(笑)。
 
部屋で、持参してきたお握りで軽く朝食を取ったが、運搬業者が来る10時までには、まだ相当時間がある。私は殆どやる事がないのだが、カミサンは持参してきた掃除機で早速掃除を始めた。
 
掃除が一段落したあと、10時までには時間がまだ少しあったので、息子が、最後のお別れと言って屋上や建物の中を案内してくれた。屋上は二度目であったが、この日は快晴の青空であり、眺望が素晴らしかった。白雪の富士山もバッチリ見えた。
 
10時頃に業者がマンションに着いたのだが、このマンションは荷物の運搬については厳しい条件があるらしく、その手続と搬出ルートの養生が終わらないと荷物の搬出を開始出来ないらしく、運び出しが始まったのは11時をかなり過ぎていたと思う。
  
1時を回っていたのではないかと思うが、ようやく運び出しが完了したので、我々3人は、先に移転先の中野区に向かうことにした。業者さんは、まだ、施した養生の撤収とマンション管理室への作業完了手続きがあるらしい。
 
大崎のマンションを出て、また、ナビの案内に従って移転先の中野区に向かっていたのだが、ここで問題(事件)が発生してしまった。五反田の入口から首都高速に入る直前の事である。
私は、ナビに従って運転し、「まもなく右です」という案内に従って一番内側の車線に入ったのだが、どうやら、その入口は首都高中央環状線の入口ではなく、首都高2号線の入口だったらしく、「まもなく右です」ですというナビの声に素直に反応した私がバカだったらしい。「入口はまだ先」と息子に言われて、急いで後方確認をしながら左側の車線に車を戻したのだが、この部分の車線の色が「黄色」だったのである。つまり車線変更禁止の区間だったのである。
そして、数十メートル先に、何故か警察官が立っていたらしく、呼び止められてしまった。場所は、西五反田7-1である。
 
(先程、グーグルマップで、この地点付近の映像を見ていたら、何と、警察官の姿が映像に写っていた。しかも二人も。どうやら、この地点は、絶好の「切符」売り場になっている様である(笑))
 
www.google.co.jp
 
有り難く6,000円で貴重な切符を買わせて戴き(笑)、すぐ右前に見えている五反田入口から中央環状線に入って中野区を目指す。ゴールド免許とも次回更新の時から暫しのお別れである(笑)。
 
移転先の中野区南台に到着。コインパーキングに車を入れて移転先マンションへ。まだ暫くはトラックが来そうにないため、近くの蕎麦屋さんで遅めのランチ。マンションに戻ったのだが、業者さんからの連絡が全く来ない。養生の撤収作業と管理室との手続きに時間が掛かっているものと思われる。
 
お母さん(長男のお嫁さん)と初孫は、一緒に産後1ヶ月を実家で過ごしているが、このままだと、ご実家を訪問するのが遅くなり過ぎるため、取り敢えず、3人でご実家に向かい、長男だけ電話があったらマンションに戻ることにした。ナンセ、移転先のマンションとお嫁さんのご実家は徒歩5〜7分の距離なので、こういう事が出来るのである。
 
ちょうと生後1ヶ月になる孫。ふっくらとして顔も生まれた直後の時からはかなり変わって穏やかな表情になっていた。初めて孫を抱く。30年近く経っても、赤ちゃんの抱き方は身体が覚えているようである。
 
マメちゃんが一人(一匹)寂しく待っているので、1時間ほどお邪魔したあと、マンションの方に戻って先に戻っていた息子に声だけかけてから三島に戻って来た。
 
夜になってから「ようやく搬入が終わりました」という連絡を長男のお嫁さんから貰ったが、もう9時頃だったのではないかと思う。マンションの前までトラックが入れなかった事、3階への運び入れだった事などから、業者さんも相当苦戦したようである。
 
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1 大崎のマンションからの眺め(夜明け)
 
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2 大崎のマンション屋上からの眺望
 
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3 富士山
 
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4 荷物搬出後の仕上げのお掃除(カミサン)
 
お嫁さんのご実家での孫の写真&動画付きはコチラ(親族限定)